2019年12月22日日曜日

茶入について

茶入は古来中国で作られた物がはじまりで、元々は薬器か何かに使われた物で、南宋時代まで遡ります。

日本では、小瀬戸の元祖加藤四郎左エ門に始まります。鎌倉時代八代将軍足利義政の頃には唐物茶入が貴重な存在になり、戦国時代から桃山時代に書けては、一国一城にもかわる大変な価値を持ちます。

更に、江戸時代に入ると、将軍や大名の間では名物茶入が相互の献上品として忠誠を示すものとしての大役を持ちます。こう言った意味からも格付けが古くからされているが、一番古い大名物は東山時代中国産で既に著名な物、中興名物は小堀遠州が選定した物、名物はそれ以外の有名な茶入れ、と言ったような分け方になっています。

中国の茶入れは、唐物とか漢作と呼ばれ、形は茄子、文琳、瓢箪、丸壷などの多種があります。見所は、薄作りで非常に軽いこと、釉は焦げ茶色のアメ釉風、景色正面のなだれ釉、土味はやわらかい赤土で中国南方を思わせます。また、茶入れ一般論として、口造り、捻り返し、肩、胴、畳付けなど大事な見所になります。

日本の茶入は元祖唐四郎が中国に返り、学び瀬戸で焼いたのが始まりとされ、三代藤四郎までは唐物風の漢字が出ています。釉は唐物茶入の茶釉とはことなり、黒や黄褐色などの釉が見られ、厚みも唐物と比べると厚手になります。
破風窯の時代になると、形も変化に富み、くすりはやわらかな黄色がよく見られるようになります。

次の桃山時代に入ると、利休の侘び茶や織部、遠州の綺麗さびへと発展していきます。
茶入ではこの時代を後窯と称します。後窯は利休好みの利休瀬戸のようにあまり変化の無いまっすぐな形が特徴で自然体の形と思われます。反対に、織部は全体的に変化に富んでおり、この中で鳴海織部なおは織部好みです。

京瀬戸の時代は江戸の初期頃で、京都の作人が瀬戸で焼いたかその逆かは定かでは無いが、著名な作人が出現します。

2019年12月18日水曜日

佐喜知庵

愛知県、刈谷市美術館の敷地内に「佐喜知庵」と言う茶室がある。

4畳半の裏千家又隠写しの茶席がある。玄関と茶席との間に4畳の水屋が付属していて、茶事に使い勝手が良い。茶席の床の間は4尺5寸奥行き2尺8寸の塗り回し壁で、利休床の寸法である。床柱は赤松で相手柱は北山杉の出節である。落し掛けは杉です。
床の間前東側の、南へ向かって3尺は土壁で柱が入り、南へ一間の間が貴人口として3本引きの障子が入っている。

床の間の正面の東南側がにじり口で、にじり口の斜め上に下地窓がある。にじり口とこの下地窓が色紙窓の構成になっている。この窓の西が一間半の連子窓である。

床の間から西に続く4尺5寸は壁で、南へ折れて7尺近くも全面壁の携帯である。西北角は茶道畳の隅に当たるが、ここは又隠の間をうつしたものなので、楊枝柱の形が取られている。その北から三尺下がったところに付け洞庫が作られているのも、やはり又隠の写しを意識しているからであろうと思われる。

茶道口は部屋の南西にあり、約束通りたいこ張の引き戸になっている。茶道口の外は三尺強の板廊下で、水屋からの連絡通路でもある。この茶道口の南手に水張口が作られていて、茶事の折の約束事がやりやすくなっている。

天井は、全体は一番南に面したにじり口側の1畳半分が野根の掛込み天井で、床の間の前から茶道畳、客畳の3畳分は網代組の平天井が一面に覆われている。

11月の茶事

11月は口切りの茶、炉開きの茶となります。

口切りの茶事では、まず、網に入れて床に飾ってあった茶壺を、床よりおろし、網をはずして客へ拝見に出します。客一同は「小習い」の作法に則り、壷を拝見して道具畳へ戻します。亭主が茶道畳へ出て、約束の通り、茶壺のことの問いに答えます。
次に中に収まっている「濃茶」の種類を亭主が申し上げ、どれかを客に選別して頂いたり、茶壺の箱の蓋の裏には「御茶入日記」が貼ってあるのでその入日記からどれかの「濃茶」を選んで頂くなどして茶を選びます。
 次に、客の前で茶壺の口を切り、中から詰茶を取り出して、濃茶の入れられた紙袋の堤を改めつつ出します。葉茶漏斗の上に乗っている容器に収めます。残りの茶は茶壺に戻し、口を再度かぶせます。
 次に、口栓と茶壺の間へ封をするために、細い紙に糊をつけ、その紙を口栓の際へ張って最後に自分の印を捺し、茶壺、葉茶漏斗と水屋へ退けて初炭が始まります。そこからは懐石へと進んでいきます。
 口切りの茶事には黒紋付の正装で身を包み参加します。昔の茶人にとっては一生に一度で良いから口切りの茶事に参加したいと言っていたそうですが、現代ではお茶屋挽いた後のお抹茶がいつでも変えるので茶壺や口切りの貴重さや意味は失われてしまっています。

利休居士は「柚が色づくを見て」、伯宗居士は「吐く息が白く見えるを見て」炉を拓くが良いと言われてきました。昨今では、11月の初旬の立冬の日に炉を開くと言う茶事が多いようです。11月の"初の亥の日"、これが早すぎる月は"二の亥の日"を目安にするとか、7,8日頃の立冬の日を選ぶとか、「達磨忌」の日を期して行うとか、色々あります。このときには、障子や生け垣を新めたり壁を塗り替えたりして、茶人の正月とも言われています。

亥の日とは、この日に火鉢や炬燵・炉などに火を入れ始めると「火難予防」になると昔から言われてきています。炉開き(11月の亥の日の玄の時)に餅を食べると病にかからないとの言い伝えもあります。

炉の花としては、寒菊や木の花が炉用とみると良いと思います。

菓子としては「鈴薯」の類いが出てきます。濃茶席で良く見受けられる練り鈴薯と呼ぶ菓子も、この時期の旬のものです。

懐石では紙塩とか立て塩と呼ぶ技法で供された物が、昆布締めで供されるようになります。小鳥の類いも炉用のものと言われています。雀などを出されていましたが近代ではあまりありません。鶉(ウズラ)が使われたり、鴨の身を潰して丸に加工したり抱き身を薄く切って椀盛りや炊き合わせの一種が今日されることもあります。

風炉から炉へは、
柄杓→皮そぎ
香→練り香
炭→大ぶりになる
と言った変化があります。

「べ」のことと言って、開炉の釜には"べ"のツクモのを何点か使うと良いと言われてきました。例えば、織部焼などがあります。料理の中に織部豆腐なども挙げられます。水指では伊部などもあります。

また、外腰掛けのあたりの一部に敷松葉をすることが必要です。また、露地口には晴天であっても必ず露地笠を出しておきます。この時期は時雨の季節でいつ雨が降るか分からないからです。