透木釜
大蓋の釜から普通の釜にも土肥、透木釜に変えていく季節です。
炭点前をするに当たっては透木の扱いが必要になります。
透木釜は「羽釜」と言う呼び名で呼ばれることもあります。この羽のことを「煙返し」とも言います。炉の廻りをいっぱいに塞ぐので、炉内の火気が見えないので暖かくなってきたこの時期にふさわしいとされています。
2020年5月23日土曜日
湖舟庵
滋賀県長浜市に黒壁スクエアと言う施設があります。
湖舟庵は、23館からなる黒壁スクエアの中の10号館で、黒壁ガラス鑑賞館の中庭にあります。
鑑賞館の表門は、かつて長浜城内の秀吉公茶亭門であったと伝えられています。
中庭にある湖舟庵は現在は使われていない。
湖舟庵は、23館からなる黒壁スクエアの中の10号館で、黒壁ガラス鑑賞館の中庭にあります。
鑑賞館の表門は、かつて長浜城内の秀吉公茶亭門であったと伝えられています。
中庭にある湖舟庵は現在は使われていない。
2020年5月17日日曜日
香合の扱い方
炭道具として使われる香合は、国内外含めかなりの種類と数があります。
古来中国の堆朱(ついしゅ)、堆黒(ついこく)に始まり、室町・東山時代に日本に到来しています。日本の香合も古くは鎌倉時代より作られ、錫椽(すずたるき)、鎌倉彫、根来等が代表的な物です。
堆朱は宗・元の時代に始まりますが、現在残っている物はほとんど明時代のものです。中でも張成、楊茂、周明は堆朱三作と呼ばれ、畳附(底面)に針彫で在銘をみるものがありますが、この在銘も彫り方があまり深く彫られておらず、線が細く浮かび出ている物の方が確かなようです。何百回も塗りを重ね、その上に文様を彫出した物で、持った感じ非常に重厚感があります。
堆朱の香合は赤漆が中心ですが、数少ない物の緑や黄色が入っている香合もあります。例えば牡丹文や椿文のもので、花が朱、葉が緑で紅花緑葉と言って、喜ばれます。更にその上にところどころ黄漆が見られる物がありますが、更に珍品上手な香合です。
堆黒は堆朱の一種ですが、よく注意深く拝見すると、底に朱が見えたりする物があります。中でも地肌がはっきりと朱が見え彫文様のところが黒い物を堆黒地紅と呼びよりよろこばれます。又、朱が見えず、非常に光沢のよい黒色を発する物を特に堆鳥と呼びます。
香合は、茶人の間では香箱とも呼ばれ、炭道具の中で特に重要視されています。
さて、日本でも同じくらい古い香合に錫椽香合があります。最も古い物は数は少ないですが鎌倉時代に始まっています。元々化粧道具として作られた物で、蓋と身に蒔絵がほどこされ、合口が錫になっています。形は、正方形、長角、丸形と三種あり、蒔絵は梨子地に平蒔絵やだんだんと時代が進むにつれ、研出(とぎだし)、低い高蒔絵等なき絵技法も大事なみどころがあります。他に、堆朱の技術を取り入れ、鎌倉時代の禅寺で造られたと言われる鎌倉彫や紀州根来寺において造られた根来塗が古くからつたわっています。このように、中国の堆朱堆黒日本の漆器、蒔絵香合は、桃山時代を境に流行する焼物香合より古い時代に使われています。特に東山時代の頃より沈香木の貴重さ、又それを入れる沈箱更に小分けするための器として好まれた物と思われます。
時代も桃山、江戸、利休織部、遠州等大茶人の茶道が本格化してくると、焼物香合を外国(特に中国)へ注文したり日本でも好みのものが造られます。青磁、染付、呉州、祥瑞、中国南方の交趾やはるか紅毛(オランダ)まで発注されます。また、日本でも黄瀬戸、志野、織部、仁清、乾山等が造られます。このように、注文品、好み品含めこれらの香合を形物香合と呼びます。形物香合一覧表が江戸幕末頃作られ相撲番付のようになっていますが、右欄(東方)は第一段大関より交趾が並び、二段、三段に青磁、交趾の順に占められています。又左欄(西方)は染付、呉州中心になり他国焼が並んでいます。よく茶会でこれは形物でアガりもよく、結構ですという会話がありますが、それほど昔から茶人間で大切にしてきた物です。
交趾香合は、大亀、台牛、桃の順に出てきますが、見所は黄、緑(青)、紫、他白檀(金箔を張り付ける)釉薬があり、それぞれ一色のもの二色のもの三色のものに色分けられ鮮やかさは玉を見るが如くの発色が大切です。又、蓋裏、身裏では土や肌を見ることができますが、土はきめ細やかなやわらかい土、肌は卵の乳白のごとくすべすべした肌合いが肝要です。交趾はよく黄を第一とすると言いますが、それほど鮮明な色が大事と言う事です。口切りの小間の茶室の中では特に色鮮やかで愛着を感じます。
青磁は花入、茶碗、鉢等は時代古く南宋、元まで遡りますが、香合は全て明末に作られています。交趾同様格調高く、西方では一段目に桔梗、桃、一葉の三点のみがのっています。青磁香合は時代的に七官手ですが、砧(きぬた)、天龍寺に近いぐらいの色が理想的です。
土は、赤土がみやすくだいじなところです。染付は代表格辻堂や、哥仝鳥(叭々鳥)荘子他多数ありますが、茶人好みの古染付でやわらかな藍の発色と虫喰い(くすりめくれ)や、土は白地で全体充分な堅さが良いです。
祥瑞は、江戸初期遠州注文と言われます。染付よりも藍が深く絵文様も繊細になります。蜜柑が西方二段目にみえます。祥瑞香合の中では第一ですが、五郎大夫、呉祥瑞造の在銘を見逃せません。祥瑞は虫喰いは無く、土はゴマ土が約束です。又、遠州はオランダまで注文したと言われ、現存の白雁香合は数点のみです。広間の取合わせには洒落たうってつけのものです。又、反り物の刑物香合は中国でのおめでたい形文字日本人好みの形等多く見られます。
次に、国焼も桃山時代よりつくられています。黄瀬戸根太(きぜとねぶと)、伊賀伽藍(がらん)、志野宝珠、織部菊カブト、青分銅が番付に入っています。黄瀬戸はやわらかなあぶらあげ肌に全体薄黄がかかり、その中にタンパン、コゲ等上品さが大事な所です。根太は先がとがり丁度三角形のような形で、又、先が丸みを帯びた宝珠の形もあります。志野は辻堂、一文字、茄子等ありますがどれも光沢の良い柚肌に火色や鉄絵がみどころです。織部は、ご承知のように古田織部好みで、他ハジキ形が著名ですが、白地の中に青うわ具売りの光沢のよさを見逃せません。また、茶碗と色がわりが反対で、香合は大半青織部が多いようですが、黒織部香合は非常に少ないようです。
又、遠州の後、京焼の名工、仁清の白雁、乾山の檜梅等の形合香合も加えられています。焼物香合は形物の番付の格は大事なことですが、キスケのなさ、アガリのよさ等その条件を満たした物がより大事です。
古来中国の堆朱(ついしゅ)、堆黒(ついこく)に始まり、室町・東山時代に日本に到来しています。日本の香合も古くは鎌倉時代より作られ、錫椽(すずたるき)、鎌倉彫、根来等が代表的な物です。
堆朱は宗・元の時代に始まりますが、現在残っている物はほとんど明時代のものです。中でも張成、楊茂、周明は堆朱三作と呼ばれ、畳附(底面)に針彫で在銘をみるものがありますが、この在銘も彫り方があまり深く彫られておらず、線が細く浮かび出ている物の方が確かなようです。何百回も塗りを重ね、その上に文様を彫出した物で、持った感じ非常に重厚感があります。
堆朱の香合は赤漆が中心ですが、数少ない物の緑や黄色が入っている香合もあります。例えば牡丹文や椿文のもので、花が朱、葉が緑で紅花緑葉と言って、喜ばれます。更にその上にところどころ黄漆が見られる物がありますが、更に珍品上手な香合です。
堆黒は堆朱の一種ですが、よく注意深く拝見すると、底に朱が見えたりする物があります。中でも地肌がはっきりと朱が見え彫文様のところが黒い物を堆黒地紅と呼びよりよろこばれます。又、朱が見えず、非常に光沢のよい黒色を発する物を特に堆鳥と呼びます。
香合は、茶人の間では香箱とも呼ばれ、炭道具の中で特に重要視されています。
さて、日本でも同じくらい古い香合に錫椽香合があります。最も古い物は数は少ないですが鎌倉時代に始まっています。元々化粧道具として作られた物で、蓋と身に蒔絵がほどこされ、合口が錫になっています。形は、正方形、長角、丸形と三種あり、蒔絵は梨子地に平蒔絵やだんだんと時代が進むにつれ、研出(とぎだし)、低い高蒔絵等なき絵技法も大事なみどころがあります。他に、堆朱の技術を取り入れ、鎌倉時代の禅寺で造られたと言われる鎌倉彫や紀州根来寺において造られた根来塗が古くからつたわっています。このように、中国の堆朱堆黒日本の漆器、蒔絵香合は、桃山時代を境に流行する焼物香合より古い時代に使われています。特に東山時代の頃より沈香木の貴重さ、又それを入れる沈箱更に小分けするための器として好まれた物と思われます。
時代も桃山、江戸、利休織部、遠州等大茶人の茶道が本格化してくると、焼物香合を外国(特に中国)へ注文したり日本でも好みのものが造られます。青磁、染付、呉州、祥瑞、中国南方の交趾やはるか紅毛(オランダ)まで発注されます。また、日本でも黄瀬戸、志野、織部、仁清、乾山等が造られます。このように、注文品、好み品含めこれらの香合を形物香合と呼びます。形物香合一覧表が江戸幕末頃作られ相撲番付のようになっていますが、右欄(東方)は第一段大関より交趾が並び、二段、三段に青磁、交趾の順に占められています。又左欄(西方)は染付、呉州中心になり他国焼が並んでいます。よく茶会でこれは形物でアガりもよく、結構ですという会話がありますが、それほど昔から茶人間で大切にしてきた物です。
交趾香合は、大亀、台牛、桃の順に出てきますが、見所は黄、緑(青)、紫、他白檀(金箔を張り付ける)釉薬があり、それぞれ一色のもの二色のもの三色のものに色分けられ鮮やかさは玉を見るが如くの発色が大切です。又、蓋裏、身裏では土や肌を見ることができますが、土はきめ細やかなやわらかい土、肌は卵の乳白のごとくすべすべした肌合いが肝要です。交趾はよく黄を第一とすると言いますが、それほど鮮明な色が大事と言う事です。口切りの小間の茶室の中では特に色鮮やかで愛着を感じます。
青磁は花入、茶碗、鉢等は時代古く南宋、元まで遡りますが、香合は全て明末に作られています。交趾同様格調高く、西方では一段目に桔梗、桃、一葉の三点のみがのっています。青磁香合は時代的に七官手ですが、砧(きぬた)、天龍寺に近いぐらいの色が理想的です。
土は、赤土がみやすくだいじなところです。染付は代表格辻堂や、哥仝鳥(叭々鳥)荘子他多数ありますが、茶人好みの古染付でやわらかな藍の発色と虫喰い(くすりめくれ)や、土は白地で全体充分な堅さが良いです。
祥瑞は、江戸初期遠州注文と言われます。染付よりも藍が深く絵文様も繊細になります。蜜柑が西方二段目にみえます。祥瑞香合の中では第一ですが、五郎大夫、呉祥瑞造の在銘を見逃せません。祥瑞は虫喰いは無く、土はゴマ土が約束です。又、遠州はオランダまで注文したと言われ、現存の白雁香合は数点のみです。広間の取合わせには洒落たうってつけのものです。又、反り物の刑物香合は中国でのおめでたい形文字日本人好みの形等多く見られます。
次に、国焼も桃山時代よりつくられています。黄瀬戸根太(きぜとねぶと)、伊賀伽藍(がらん)、志野宝珠、織部菊カブト、青分銅が番付に入っています。黄瀬戸はやわらかなあぶらあげ肌に全体薄黄がかかり、その中にタンパン、コゲ等上品さが大事な所です。根太は先がとがり丁度三角形のような形で、又、先が丸みを帯びた宝珠の形もあります。志野は辻堂、一文字、茄子等ありますがどれも光沢の良い柚肌に火色や鉄絵がみどころです。織部は、ご承知のように古田織部好みで、他ハジキ形が著名ですが、白地の中に青うわ具売りの光沢のよさを見逃せません。また、茶碗と色がわりが反対で、香合は大半青織部が多いようですが、黒織部香合は非常に少ないようです。
又、遠州の後、京焼の名工、仁清の白雁、乾山の檜梅等の形合香合も加えられています。焼物香合は形物の番付の格は大事なことですが、キスケのなさ、アガリのよさ等その条件を満たした物がより大事です。
2020年5月16日土曜日
欅庵
欅庵は、豊明市文化会館の別棟として建てられています。
茶室は4畳半の広さで、利休床が付けられています。床柱は赤松で、下に細い竹のこがとってあり、床框(とこがまち)には、麿丸太が使われている。床は南に面し、床の正面南口はにじり口、床のすぐ西横に給仕口がある。床に向かって東側の中央は二本引の貴人口となり、西側角は茶道口となっている。
天井は薄く削った竹で格子に組んだ平天井で、西側一畳半分は、ゆるやかな駆け込み天井となっていて、ほぼ中央に突き上げ窓がもうけられている。にじり口上は二本引の連子窓で、また西側にも、一段下がって二本引の窓となって、広く明かりが採れる仕組みになっている。
茶室は4畳半の広さで、利休床が付けられています。床柱は赤松で、下に細い竹のこがとってあり、床框(とこがまち)には、麿丸太が使われている。床は南に面し、床の正面南口はにじり口、床のすぐ西横に給仕口がある。床に向かって東側の中央は二本引の貴人口となり、西側角は茶道口となっている。
天井は薄く削った竹で格子に組んだ平天井で、西側一畳半分は、ゆるやかな駆け込み天井となっていて、ほぼ中央に突き上げ窓がもうけられている。にじり口上は二本引の連子窓で、また西側にも、一段下がって二本引の窓となって、広く明かりが採れる仕組みになっている。
9月の茶事
重陽の節句
9月9日は「重陽の節句」と言います。九は数字の上から「陽」に当り、これが2つ重なることから重陽と称されます。
また、菊の節句と言われています。 菊は寿命長延、除災の花です。
重陽の宴というのは、元々中国から伝承され、宮中で催される行事でアリ、大同2年(807年)から始まり、徳川時代まで続いたと言われています。
中秋の名月
9月15日は仲秋(中秋)の名月です。月見のお点前が行われます。
2020年5月12日火曜日
大慈庵
大慈庵は、みよし市にある文化センター サンアートの中にある。
3畳台目の茶室で、茶会に利用される。床の間は4尺5寸幅の利休床で南面している。床の間の東には黒蹟窓(ぼくせきまど)を備え、西側には風炉先窓を兼ねた、大きな下地窓が明けられている。床柱は赤松で、床框(とこがまち)は北山杉。床の間の内部は塗り回しの壁になっているが、西側に楊枝柱が付けられ、柳釘が打たれている。
茶道畳の後ろに方立の茶道口が開けられ、その南に火灯窓の給仕口が開けられている。客の入り口は床の正面ににじり口があり、その東側には二本引の貴人口も付けられている。
外の日本庭園「鶴駕苑は」広く美しく刈り込まれた芝生が鮮やか。
大慈庵の南には栄松軒があり、江戸時代に和歌・書・茶道などで名を馳せたみよし市福田出身の酒井利亮の業績を伝えるために酒井家の茶室を再現した物で、こちらも茶会に利用できる。
3畳台目の茶室で、茶会に利用される。床の間は4尺5寸幅の利休床で南面している。床の間の東には黒蹟窓(ぼくせきまど)を備え、西側には風炉先窓を兼ねた、大きな下地窓が明けられている。床柱は赤松で、床框(とこがまち)は北山杉。床の間の内部は塗り回しの壁になっているが、西側に楊枝柱が付けられ、柳釘が打たれている。
茶道畳の後ろに方立の茶道口が開けられ、その南に火灯窓の給仕口が開けられている。客の入り口は床の正面ににじり口があり、その東側には二本引の貴人口も付けられている。
外の日本庭園「鶴駕苑は」広く美しく刈り込まれた芝生が鮮やか。
大慈庵の南には栄松軒があり、江戸時代に和歌・書・茶道などで名を馳せたみよし市福田出身の酒井利亮の業績を伝えるために酒井家の茶室を再現した物で、こちらも茶会に利用できる。
2020年5月8日金曜日
工法庵
中部大学にある工法庵は、春日井市にあります。
工法庵は貞享3年(1686)出版の『数寄屋工法集』に記される千利休茶室の寸法書きを忠実に復元した茶室だそうで、平成2年2月28火の利休400回忌の日に完成した。
利休が設計したと言われる茶室は、京都府乙訓群大山崎町の妙喜庵に国宝「待庵」がある。しかし、中部大学の伊藤平左エ門教授は建築士と建築意匠が専門で、現存する待庵は建築当時の物と比べて数カ所の違いがあることを発見。学生達の卒業研究を課ねえ、同大学構内に実物大で復元された。
伊藤教授に依れば、一つ目の違いは床の間が洞床と異なり、奥隅の柱が見えること。待庵では柱が土壁で塗り回されていて見えない。また鴨居や敷居、棚の寸法・計上にも違いがある。立て替えや補修がしばしばあったものと思われるという。
工法庵は二畳台目の多湿で、床は当然ながら利休床の寸法で、4尺5寸の間口を持ち、炉は隅炉である。次の間は板畳を入れた1畳の間であり、その東に1畳の間で水屋がある。
床の正面はにじり口になっている。にじり口には約束通り板戸が嵌められており、その上部は竹格子の付いた連子窓で、竹の組子の障子2枚が入っている。床より向かって左の壁には床に近い方に下地窓があり、掛障子を掛ける。次ににじり口までの間にも下地窓と一本引きの障子がある。
工法庵は貞享3年(1686)出版の『数寄屋工法集』に記される千利休茶室の寸法書きを忠実に復元した茶室だそうで、平成2年2月28火の利休400回忌の日に完成した。
利休が設計したと言われる茶室は、京都府乙訓群大山崎町の妙喜庵に国宝「待庵」がある。しかし、中部大学の伊藤平左エ門教授は建築士と建築意匠が専門で、現存する待庵は建築当時の物と比べて数カ所の違いがあることを発見。学生達の卒業研究を課ねえ、同大学構内に実物大で復元された。
伊藤教授に依れば、一つ目の違いは床の間が洞床と異なり、奥隅の柱が見えること。待庵では柱が土壁で塗り回されていて見えない。また鴨居や敷居、棚の寸法・計上にも違いがある。立て替えや補修がしばしばあったものと思われるという。
工法庵は二畳台目の多湿で、床は当然ながら利休床の寸法で、4尺5寸の間口を持ち、炉は隅炉である。次の間は板畳を入れた1畳の間であり、その東に1畳の間で水屋がある。
床の正面はにじり口になっている。にじり口には約束通り板戸が嵌められており、その上部は竹格子の付いた連子窓で、竹の組子の障子2枚が入っている。床より向かって左の壁には床に近い方に下地窓があり、掛障子を掛ける。次ににじり口までの間にも下地窓と一本引きの障子がある。
2020年5月4日月曜日
利休七則
茶道・茶の湯の世界には、利休七則、と言う物があります。
読み替えれば現代社会でも役立つ言葉が沢山なので、ご紹介したいと思います。
茶道のお稽古では、あれのお点前の次はこれでこれで…、とか、大体どのくらいのタイミングで客がお菓子を召し上がるからそれに合わせてこれで。とか言うのがあるのですが、実際にやるときはその時の客の様子だったり、釜のお湯加減だったり火加減だったりを考えながらベストなおもてなしをしましょう。と言うことですね。
実際、正式なお茶会の中でも、客からお茶が濃いとか熱いとか色々あると薄めたり冷めるのを待ったり、と言うのが普通にあります。型だけの世界では無いのです。
ただし、そう言うイレギュラーなやりとりをするためにも、基本の型を何も考えなくても お点前が出来て、それ以外の状況にしっかりと対応出来るような練習を積むことが必要になります。
「客の目に見えないような炭継ぎも、お湯がしっかり沸くようにやりなさい。」
と言うことなんですね。
「自然界に無いようなモリモリに盛ったお花を生けてはいけないよ。」
と言うことです。現代華道はどうしても、華美なものの方が'映える'ので、そうなりがちですが、お茶花というのはそう言う物ではなく、落ち着いた物の方が良いのです。
それでいて、野にあるように、"今が旬の花"を丁寧に生けるのが良いのです。そして、客としては、「あれ、これってこの辺りだとつい最近咲き始めたお花だけど、ひょっとして今日開花するように準備してました?」みたいなふうに、亭主の気遣いに気づけると良いと思います。
とてもメジャーな所で言うと、お茶の世界では、"夏茶碗"、"冬茶碗"と言うのがあります。夏茶碗はご飯茶碗のような形をしていて、口が広く浅いためすぐにお茶がぬるくなり、夏にお茶が飲みやすくなります。逆に冬茶碗は所謂湯飲みのように口が小さく深いので長い間暖かさを保つ事が出来ます。
エアコンが無いから涼しく出来ない、と言って諦めるのでは無く、気遣いでそこをカバーする、と言うのが大事と言うことです。とは言え、現代の暑さはエアコン無しでは乗り切れないのでうちのお茶室にはエアコンついてますが。
亭主側からすれば、時間に余裕を持って準備をすれば、それだけしっかりとおもてなしの準備が出来ますし、客が時間に余裕を持って到着すれば、それだけ亭主がベストのタイミングでお湯を沸かすための準備などをすることが出来るわけです。(正式なお茶会では、現代の結婚式のように客が来たら待合室的な所で待つので、早く来てもらう分には割と時間調整できるのです。)
昔は折りたたみ傘も無かったですし、天気予報も無かったので、突然の雨が降り出すと困ってしまうのでおもてなしに集中して貰えず残念なので、それを避けるために準備をしておこうというお話です。
本来亭主が客をもてなすのがメインとなるお茶会ですが、客同士でも気を使い、より良いお茶会にしましょう。と言う事です。
読み替えれば現代社会でも役立つ言葉が沢山なので、ご紹介したいと思います。
利休七則
- 茶は服のよきように点て
- 炭は湯の沸くように置き
- 花は野にあるように生け
- 夏は涼しく冬暖かに
- 刻限は早めに
- 降らずとも傘の用意
- 相客に心せよ
1. 茶は服のよきように点て
お抹茶の世界では、お茶は"煎れる"ではなく、"点てる" と言います。茶筅(泡立て器的なやつ)でシャカシャカすることですね。"服"と言うのは、飲むことなので、言い換えると、「お茶を作るのは飲むのに良い感じでやりましょう。」と言うことです。茶道のお稽古では、あれのお点前の次はこれでこれで…、とか、大体どのくらいのタイミングで客がお菓子を召し上がるからそれに合わせてこれで。とか言うのがあるのですが、実際にやるときはその時の客の様子だったり、釜のお湯加減だったり火加減だったりを考えながらベストなおもてなしをしましょう。と言うことですね。
実際、正式なお茶会の中でも、客からお茶が濃いとか熱いとか色々あると薄めたり冷めるのを待ったり、と言うのが普通にあります。型だけの世界では無いのです。
ただし、そう言うイレギュラーなやりとりをするためにも、基本の型を何も考えなくても お点前が出来て、それ以外の状況にしっかりと対応出来るような練習を積むことが必要になります。
2. 炭は湯の沸くように置き
炭はお茶を点てる上で大事なお湯を沸かすために使います。"置き"と言うのは、炭の置き方一つで火の周り方が変わり、お湯の沸くタイミングやその温度などが変わってきます。でも、恐らく茶道を多少聞きかじった程度では、炭の置き方(継ぎ方)に作法があることも知らないと思いますし、お茶室独特の香りの秘密が炭と香によって生まれていることも知らないと思います。大事なんですが、表に出ない作業なんですね。つまり、「客の目に見えないような炭継ぎも、お湯がしっかり沸くようにやりなさい。」
と言うことなんですね。
3. 花は野にあるように生け
お茶会を開くときには必ず床の間にお花を生けます。これを野にあるように生ける、と言うのは複数の意味を持っていますが、読んでそのままの、「その辺に咲いてるそのままで生けろ」と言う訳(だけ)ではありません。特に現代のお点前で大事なのは、「自然界に無いようなモリモリに盛ったお花を生けてはいけないよ。」
と言うことです。現代華道はどうしても、華美なものの方が'映える'ので、そうなりがちですが、お茶花というのはそう言う物ではなく、落ち着いた物の方が良いのです。
それでいて、野にあるように、"今が旬の花"を丁寧に生けるのが良いのです。そして、客としては、「あれ、これってこの辺りだとつい最近咲き始めたお花だけど、ひょっとして今日開花するように準備してました?」みたいなふうに、亭主の気遣いに気づけると良いと思います。
4. 夏は涼しく冬暖かに
当然、利休が生きていた時代にはエアコンなどありません。でも、夏は涼しく、冬は暖かく感じるような気遣いが必要なのです。例えば、夏には打ち水をして涼しくしたり、冬は帰宅前に羽織りを暖めておく、などです。それ以外にも夏はガラス製の水指を道具として使ったり、冬は暖かい色の出し帛紗を出したりと目で涼やかさや暖かさを出すなど、色々考えられます。とてもメジャーな所で言うと、お茶の世界では、"夏茶碗"、"冬茶碗"と言うのがあります。夏茶碗はご飯茶碗のような形をしていて、口が広く浅いためすぐにお茶がぬるくなり、夏にお茶が飲みやすくなります。逆に冬茶碗は所謂湯飲みのように口が小さく深いので長い間暖かさを保つ事が出来ます。
エアコンが無いから涼しく出来ない、と言って諦めるのでは無く、気遣いでそこをカバーする、と言うのが大事と言うことです。とは言え、現代の暑さはエアコン無しでは乗り切れないのでうちのお茶室にはエアコンついてますが。
5. 刻限は早めに
つまり、「時間に余裕を持とう」と言うことですね。時計もスマホも無い時代、お茶会のお誘いをして、客が早く来てしまい準備が出来ていなかった、客が遅刻してしまった。と言うことが多かったのかも知れません。亭主側からすれば、時間に余裕を持って準備をすれば、それだけしっかりとおもてなしの準備が出来ますし、客が時間に余裕を持って到着すれば、それだけ亭主がベストのタイミングでお湯を沸かすための準備などをすることが出来るわけです。(正式なお茶会では、現代の結婚式のように客が来たら待合室的な所で待つので、早く来てもらう分には割と時間調整できるのです。)
6. 降らずとも傘の用意
そのまま、「雨が降らなくても傘を用意しよう」と言うことですが、どういうことかというと、客をもてなしている間に雨が降ってくると帰り客がぬれてしまうので亭主が傘を用意しておくことを表しています。昔は折りたたみ傘も無かったですし、天気予報も無かったので、突然の雨が降り出すと困ってしまうのでおもてなしに集中して貰えず残念なので、それを避けるために準備をしておこうというお話です。
7. 相客に心せよ
お茶会では大抵、客は複数人います。正客と言われる客側のリーダー的な動きをする人とそれ以外の人がいるのですが、それは一旦置いておいて、同席した客をお互いに相客と言います。本来亭主が客をもてなすのがメインとなるお茶会ですが、客同士でも気を使い、より良いお茶会にしましょう。と言う事です。
2020年5月3日日曜日
風炉・透木の扱い方
炭点前を常の通りに進めてゆきます。
釜を釜敷に上げ、炭斗(すみとり)の後方へ引き移し、釜の鐶をはずして、釜の横に預けて、身体を風炉の前へ戻します。
①右手で、風炉の客付きの透木を取ります。
②身体の前へ持ってきて、右手で受けるように持たせます。
③透木の勝手付の方を同様に持ち、身体の前にします。
④右手は先述の透木を受けていますが、今度の透木も、その受けている上へ載せます。(風炉についていた面が重なり合い、火の方へ向いていた側がそれぞれ右になっています。)
⑤右を畳に突いて、一膝右へ向きます。
⑥左手に受けている二本の透木を、右手で持ちます。
⑦鐶の右へ並べるように置きます。
その後の作法は常の通りです。
香合の拝見があったとすれば、香合を出した、戻る手で透木を取ります。その他であれば一膝右へ向いて、透木を取り、左手に受けて、風炉に賞綿糸、前述の逆に左から、右に透木を風炉の上へ乗せます。
①鐶を釜にかけて風炉のちかくへ釜を寄せて風炉に釜を乗せます。作法は常の炭点前と同様です。
②釜を風炉に乗せ、釜敷きを炭斗に戻します。
釜の乗り具合を見て、直す場合はしかるべく直し、以下常の通りに行います。
風炉には、風炉の七歪みと呼ばれていることがあります。
- 小板 真っ直ぐ
- 風炉 歪み
- 五徳 真っ直ぐ
- 灰 歪み
- 釜 真っ直ぐ
- 釜 歪み
- 躰は斜めに
風炉の敷板(小板とも言います)を茶道畳の勝手付から、畳の目数5, 7, 9, 11目と格好を見計らって開け、客付(右側)の板の線を畳の目にきっちりと揃えて置きます。
次に、その上に風炉を乗せますが、およそ1.5cm程正面を右へ捻るように据えます。五徳はまっすぐ正面に向かい、灰の型は風炉に添って斜めと言うことになります。 前瓦は五徳の爪と爪の中央で、灰の線よりやや中に灰の確度よりやや立てる気持ちで入れます。灰の型は船底灰という型に抑え上げます。
切り合わせの釜の場合は、灰を丸く抑えます。この場合の円の大きさは風炉の懸け口と同じような大きさが良いと言われています。
風炉が丸く、灰も丸いので、楽だと言えるかも知れませんが、前瓦は、先述の約束事を思い出して、真っ直ぐ前に向けて入れなければなりません。
いずれの風炉の場合でも、唐銅の風炉の仕上げは、押さえ切りです。鉄の風炉の場合は、羽根目、又は火箸目で仕上げます。
ギボウシ
ギボウシは宿根性で冬は地上部は枯れるが春になるとハチクにもにた小さな新芽が沢山出る。やがてしゃもじににた先の尖った葉が株穴から何十枚も群がり出る。葉は主として緑色系だがそれぞれに色彩や模様があり、特に新葉の時期は美しく、降霜期になると枯れて休眠する。
梅雨の頃花茎が伸び、そこにラッパを細長くしたような、白色系の花が段々に下から上へ向かって咲く。ギボウシとは、この花が開花する直前の集合体の姿が、宝珠の形に似る所から疑宝珠と名付けられた。
1830年頃、シーボルトによって日本からオランダ植物園に持ち込まれている。彼は同時にヤツデ・アオキ・ハラン・カエデなども持ち帰った。これらの植物類は現在でも鉢植えや庭木として盛んに使われている。
日本ではヤシ・ドラセナなどの熱帯産の葉の色彩や模様が美しい植物を流石、欧米で観葉植物(フオリエジプラント)と言うと、葉の色彩や模様が美しく緩衝性が高い物であれば熱帯・温帯の区別は無く、ヤツデなどの他、ナンテン・カクレミノ・マサキ・シュロその他が優れた観葉植物として取り扱われている。英国・フランスなどどこの国へ行ってもお役所やホテルなどのロビーにはこれらの鉢植えが飾られている。
ギボウシはオランダにもたらされた物だが、その後英国を始めとする欧州諸国に広がってさらにアメリカにまで渡って発展を続けている。
一雨軒
津島駅の近くにある学校法人平山学園 清林館高等学校は、礼儀作法や精神力の鍛錬などの情操教育に力を注いでおり、その一環として茶道もあり、同校所有の「三養荘」が使われている。
三養荘は、江戸時代中期に建築され、明治初期からは豪商の居宅となった。それだけに、玄関脇の連子窓にはまる格子戸には商家らしい面影が残っている。玄関を開けて中に入ると、黒光りする欅の大黒柱、四間続き34畳の座敷、それにのぞむ露地の庭など、外から想像できない広さと風格を持っている。
更に、昭和4年に点てられたという書院のある一棟は、当時の銘木を用いた数寄屋造りで、津島随一といわれる本格的露地と共に、松尾宗吾宗匠が設計をされたものである。
一雨軒は、千宗旦好みの茶席で、全国的にも著名な数寄屋である。明治中期に京都から津島に移築され、書院の建築の折に現在の地に再建された物という。屋根尾こけら葺きも痛みが少なく、樹木の間にひっそりと建っている。
茶室内は三畳台目で、床は下座床。床正面ににじり口があり、床柱は杉か栗のなぐりの柱で、框(かまち)は北山杉の入節が使われている。床前畳の左に黒蹟窓、にじり口上は連子窓があり、その右側に下地窓がある。
三養荘とは、「進行、勤労、実際」の三つの心を養う場にしたいという願いを込めて命名されたと言う。昭和60年に同行所有となって今に至っている。
木槿(ムクゲ)
木槿は、風炉の花の代表格として珍重される。
夏から秋にかけて初花、盛花、残花と何度も咲き継ぎ、徐々に花数は多く、花は小さくなり残花は名残に使われる。江戸時代に栽培が流行した木槿は、今も日本のほぼ全土で見られる夏の花である。
「風炉の季節は木槿一輪あれば良い」と言われるほど。
茶花について、「何日も保つ花よりも、その日にしぼむ花のほうが、今日のお客様のためにこの花を選んだ、と言うことが分かって良い。」と言われていて、木槿はまさにその日にしぼむ一日花なのでうってつけ、ということです。
ムクゲの呼び名は朝鮮半島で無窮花(ムグンファ・ムキュゲ)と呼ばれていたのがなまったものと言われている。韓国では木槿が国花である。
茶会記に搭乗するのは「松屋会記」「天王寺屋会記」からで、「山上宗二記」には、「一八・木槿ともに白は入れるべし」とある。
茶花に使用される木槿は初期から白花が好まれたらしい。特に、朝茶に使う場合は白花を使い、露を含んだ白い木槿の涼味と正常さを賞でる。
有名な宗旦木槿は、一重咲きの小輪で、花弁幅は中くらい。センタンはやや丸みを帯び、全体は白色で、底紅。極めてわずかにピンクを帯びている。花は強く平開せず、反転しない。利休居士の孫、宗旦が茶席に初めて入れたため、宗旦木槿の名で呼び習わされている。
これに対し、小堀遠州後のみの純白を遠州木槿という。
いずれも一重ではかなげな感じが好まれた。 現在でも茶花としては華やかな物は平開するものを避け、一重のものが使われる。
ただ祇園祭に祇園守という半八重咲を生けたり、由緒ある花なら風情を楽しんで八重咲を生けることもある。 木槿の種類は70種類以上あるともいわれている。一重咲き、半八重咲き、八重咲きとあり、色も白・桃色・煉瓦色・紅色・薄紫色・濃紫色と多彩である。更に底紅があるものと無いものがある。
育て方
木槿は耐寒性があり、鉢植えでも地植えでも育てやすい。ただ、放任すると木が高くなりやすいので芽立ちの前に剪定をする必要があります。
剪定の適期は2~3月初旬で、幹を1メートル程の高さで切ると、そこから出た一年枝に花がつく。2年目の剪定は元から間引く枝と枝先を三分の一ほど切り詰める二種の枝作りをして、茶花にふさわしい小ぶりの花を咲かせる。
翌年以降は二年枝を元から切って更新していく。
挿し木でもよくつくし、接ぎ木も簡単にできる。
「風炉の季節は木槿一輪あれば良い」と言われるほど。
茶花について、「何日も保つ花よりも、その日にしぼむ花のほうが、今日のお客様のためにこの花を選んだ、と言うことが分かって良い。」と言われていて、木槿はまさにその日にしぼむ一日花なのでうってつけ、ということです。
ムクゲの呼び名は朝鮮半島で無窮花(ムグンファ・ムキュゲ)と呼ばれていたのがなまったものと言われている。韓国では木槿が国花である。
茶会記に搭乗するのは「松屋会記」「天王寺屋会記」からで、「山上宗二記」には、「一八・木槿ともに白は入れるべし」とある。
茶花に使用される木槿は初期から白花が好まれたらしい。特に、朝茶に使う場合は白花を使い、露を含んだ白い木槿の涼味と正常さを賞でる。
有名な宗旦木槿は、一重咲きの小輪で、花弁幅は中くらい。センタンはやや丸みを帯び、全体は白色で、底紅。極めてわずかにピンクを帯びている。花は強く平開せず、反転しない。利休居士の孫、宗旦が茶席に初めて入れたため、宗旦木槿の名で呼び習わされている。
これに対し、小堀遠州後のみの純白を遠州木槿という。
いずれも一重ではかなげな感じが好まれた。 現在でも茶花としては華やかな物は平開するものを避け、一重のものが使われる。
ただ祇園祭に祇園守という半八重咲を生けたり、由緒ある花なら風情を楽しんで八重咲を生けることもある。 木槿の種類は70種類以上あるともいわれている。一重咲き、半八重咲き、八重咲きとあり、色も白・桃色・煉瓦色・紅色・薄紫色・濃紫色と多彩である。更に底紅があるものと無いものがある。
育て方
木槿は耐寒性があり、鉢植えでも地植えでも育てやすい。ただ、放任すると木が高くなりやすいので芽立ちの前に剪定をする必要があります。
剪定の適期は2~3月初旬で、幹を1メートル程の高さで切ると、そこから出た一年枝に花がつく。2年目の剪定は元から間引く枝と枝先を三分の一ほど切り詰める二種の枝作りをして、茶花にふさわしい小ぶりの花を咲かせる。
翌年以降は二年枝を元から切って更新していく。
挿し木でもよくつくし、接ぎ木も簡単にできる。
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