2020年12月28日月曜日

6月の茶事

 初風炉の時季も終って、なんとなく、風炉の点前やら、約束事にも馴れてきますと、早や六月の声を聞く物です。

 

茶杓について

茶杓の要素としては、茶杓の形だけではなく、筒、箱書等も重要な要素になります。 

茶杓の作られた年代は古く、茶の祖、村田珠光、武野紹鷗時代までさかのぼると言われます。r歴史的には中国より象牙の茶杓が伝わったのが起こりとされています。形は先が匙のような形で茶匙(さひ)と呼ばれています。

紹鷗時代のものは長さもかなり長く、節の無いものや、節が一番下にある止節の形が典型です。現在では無節のものは真の形で一般の茶会では使われません。それだけ形、長さが時代が古く格調高いと言うことです。次の利休の時代は、いわゆる茶杓の原型で現代まで受け継がれています。利休の茶杓は節が真ん中のところにある中節形、全体非常にスマートな形で節のあたりは腰が高くいわゆるアリ腰になっています。

茶杓の材質は後の時代になってきますと、竹の他、松、梅、漆、蒔絵等が乱れるようになります。古い茶杓は竹が大半で又竹ということが価値観のある物です。又宗旦の時代までは無地の拭きウルシの物が多く、今でもかなりツヤの良い物が残っております。一方、遠州、宗和の大名茶人の茶杓は侘びの中にさらに綺麗さを兼ね備え、遠州は竹自体、自然なゴマ等景色あるものを選び、宗和は上品かつ洒落た感じのするものが伝えられています。

次に茶杓は筒、箱書が重要です。筒は中味と同じ人で共筒、箱は筒により時代的に近い人、更に外箱も同系統の子孫があると理想的です。利休の頃の古い茶杓には共筒で無いものがありますが、少し後になって筒が作られている物もあります。これを追い筒と言います。また、誰かに送った物を贈筒等ありますが、これは現在のように、茶杓、筒、箱と一緒に作られた物ではなく、中味だけが、あるいは共筒までで、茶杓を紙で包むという古来の風習による物です。筒、箱の関係はあまり時代的に離れていないのが肝要です。いくら茶杓のみが素晴らしく、もっともらしい物でも筒、箱書等整っていませんと大変価値が違ってきます。

さらに銘のことも重要です。銘は歌銘、季節銘、賀銘、詩銘、無銘など数多くありますが、よろこびや季節にぴったりの物が理想的です。しかし古い物ほど良い銘や、銘の無いものが多く、却って無いものはそれだけ時代が古いと言うことで、濃茶に使われることがあります。又、扱いについても大事なことですが、茶杓の一番先のかいさきが割れていないか、筒の汚れ、墨書きのにじみ等が大事な見所です。又、同時に拝見、扱いの折には墨書のところ等絶対触れないことが大事です。

次に宗旦行こうには色々変化が出てきます。茶杓は無地、ウルシ拭きの時代が終わり、竹そのままや黒、赤、ウルシの上に蒔絵をほどこしたり、竹に彫を入れたりした物があります。茶杓の節も中節の他、節下り、二つ節、三つ節等が作られ、筒も時代を隔てた替筒や、二人以上同じ筒に入れる会所筒等、それぞれの茶会の趣で拝見できます。

2020年12月12日土曜日

味噌について

 味噌は、日本人の食生活に欠かすことが出来ません。

その伝来は中国や韓国など諸説ありますが、味噌が醸造され、店舗での販売を開始したのは平安時代と言われています。

そして、一躍脚光を浴びたのは、秀吉の頃からで、茶会に懐石という料理が登場したことに寄ります。以来、味噌の風味は茶人の趣味に叶って、茶の湯懐石の調味料として重宝され続けてきました。

味噌の種類

一口に味噌と言っても、米味噌・麦味噌・豆味噌・調合味噌とがあります。その中で出荷量が最も多いのは米味噌で、味噌全体の8割を占めています。東海三県で作られる豆味噌は全体の5%しかありませんが、豆味噌が懐石料理で果たす役割は大きいです。

 

種類味・色による分類主な産地特徴
米味噌
(米麹使用)
甘味噌
近畿、中国、香川
麹の割合が高く塩分は6%前後と低い。成熟機関も5~20日と短い。白はまろやかな甘み、赤は濃厚な甘み。
東京
甘口味噌
淡色静岡、九州
暖かい地方に多い。麹の割合が比較的多く、塩分は淡色が9%、赤色が13%前後
徳島
辛口味噌
淡色長野、関東
麹の割合は少なく塩分が12~13%程度。寒い地方で作られた保存性の高い味噌。成熟期間も長い。最近は辛みを抑えた中辛も多い
北海道、東北、北陸
麦味噌
(麦麹味噌)
甘口味噌中国、九州
関東の麦味噌は主に大麦を、九州では裸麦を使う。麦味噌は一般に香りが良いと言われている。甘口の熟成期間は1~3ヶ月、辛口は3~12ヶ月で、塩分は12%前後。
辛口味噌関東、中国、九州
豆味噌
東海大豆に直接麹をつける独特の味噌。暖かい地方には、珍しく辛口で、塩分は11%前後。赤だしに使われる味噌は米味噌と合わせている物が多い。熟成期間は1~3年。  

八丁味噌

 豆味噌の中で代表格と言えば八丁味噌です。八丁味噌は夏季の高温、高湿にも酸敗しない長期保存にも最も適した味噌です。

名将のもとには、必ずおいしい味噌があったと言われています。上杉謙信には越後味噌、武田信玄には信州味噌、伊達政宗には仙台味噌といった具合です。 

原料は丸大豆

製造工程の最初では、まず丸大豆のゴミと異物が取り除かれ、洗浄後は水に浸して水分を含ませます。水を切った大豆は大きな蒸し釜で蒸されるが、この作業が最も技術と経験が要求されます。白味噌は大豆処理の際に煮られるのに対して、赤味噌は蒸されます。高圧で蒸すと大豆は赤褐色になり、栄養分が逃げません。

豆麹つくり

蒸した大豆は玉握り機で手の拳大に握られ、味噌玉となります。そして、種麹散布機で味噌玉の表面に種麹をつけ、自動制麹装置室で豆麹をつくります。

味噌だけでなく、醤油・酒などはすべて麹の助けを借りて作られます。麹とはカビの一種で、生育の際に消化酵素を体外に分泌する性質を持ちます。米の澱粉を糖に分解したり、大豆のタンパク質や脂肪をアミノ酸や脂肪酸に分解したりします。

仕込む時、カビ自体は死滅しますが、酵素は働き続けるのです。この麹を大豆につけて生育させたものが豆麹、米につければ米麹となります。豆味噌は豆麹のみで仕込まれ、米味噌や麦味噌は、それぞれ米麹・麦麹と大豆とを合わせて仕込むことになります。

熟成三年

麹のついたみそ玉は、割砕され、水と塩を配合して撹拌機でかき混ぜられます。

最後に、大きな桶に味噌を仕込みます。桶の上には意思を積み上げて三年もの間じっくり寝かせます。

成分起源効用
タンパク質大豆コレステロールの低下、血管の弾力性保持
ビタミンB1麹菌体内の酸化還元を促進
ビタミンB12最近造血作用、神経疲労防止
ビタミンE大豆酸化防止、老化防止
酵素麹、酵母、乳酸菌消化を助ける
サポニン大豆過酸化脂質の生成防止、血中コレステロール等の低下、
動脈硬化の防止、肝障害の防止
トリブシンイン大豆抗がん作用、糖尿病の防止
ダイゼイン大豆酸化防止、肩こりの解消、抗変異原性、乳がん予防
ダイゼインコリン大豆脂肪肝の防止、老化防止
レシチン大豆コレステロールの低下、動脈硬化の予防
プロスタダランチィンE大豆のリノール酸高血圧の防止
色素大豆酸化防止、老化防止
食物繊維大豆コレステロールの低下、大腸がんの予防

赤出し 

 赤出し、と言う意味は、味噌を布巾で包み、だし汁の入った鍋のなかで溶かしだして、吸い物に仕立てた際に、八丁みそなどの豆味噌と甘口の白味噌を合わせてもちいたので、赤茶の色が付近から出る、と言うことに由来しています。

赤出し八丁味噌は、八丁味噌に特別仕込の米味噌を加えて調味した調合味噌のことで、代替半々に調合されています。

2020年9月25日金曜日

花入について

花入は茶花を入れるものです。

どこの茶会でも、床の間を始めに拝見します。あらたまった濃茶席では掛軸、墨跡が掛けられています。

そうなると、花入れは青磁、古銅が基本的です。 青磁は中国の南京時代(13世紀頃)のものが一番青釉が綺麗で最も貴重なものです。この頃の青磁は砧青磁と呼ばれます。形は真中より下の部分に従いふくらみのある砧形、中蕪、下蕪形等や、胴に7,8本スジのある笋形が中心ですが、あまり数はありません。

古銅は本来胡銅と書かれるのが正しく、中国の地名より取られています。胡というところで多く作られていました。形は中蕪、下蕪のものや、口造り柑子口などいろいろあります。また、耳は獅子、龍、管耳等があります。また肌を鑑賞することも大変重要で、見た目が透けた茶褐色のやわらかい肌合が見所の一つです。

同じ銅の花入でも夏の時期に使われる砂張釣舟形花入があります。砂張は朝鮮産と南蛮産の2種類に分けられますが、元々外国果物等の食器で使われた物を日本で茶道具に取り上げた物と思われます。砂張は正確には砂張銅といい、銅に銀や錫が混じった合金で、名品と言われる物は白や黄の光りかたが入り交じり非常にくっきり表れています。松本舟、淡路屋舟、ひらた舟など著名な釣舟花入が代表されます。

また、中国の明時代中期頃には盛盞瓶(せいさんぴん)と言う酒や水を入れた器が作られており、これもみたてで日本では花生に使われます。赤絵金襴手や、青磁に見られ、歌切や古画等の掛軸の前に置くと洒落た感じがします。また、これは共蓋をより珍重します。明の末期の頃には日本人好の染付、高砂が作られますが、紋様はおめでたい謡曲銘で、形は青磁や古銅の形よりとられています。

一方、日本の花入れは焼物に代表されますが、その中でまず近来特に人気の高い伊賀の花入れは天正頃城主、筒井定次が古田織部指導に従い焼かせた物です。筒井伊賀と呼ばれ、続いて藤堂伊賀が中心で、からたち、芙蓉、小倉、寿老人等代表される、火色、コゲ、ビードロや全体非常に力強い変化のある作行きが見所です。また、耳付のところも見逃せません。

一方、備前の花入も侘びには最高です。土はねっとりとした田土で全体発色の良い火色がかかり、黄味を帯びた榎肌やゴマ、また織部風の豪快な歪みや変化に富んでいます。他火色の少ない印部手や白他に火色のタスキがかかった火襷の手があります。

暫遊荘

 暫遊荘

 愛知県犬山市の木曽川河畔にある茶室である。

元は名古屋市堅三町にあった高松邸という建物である。それが、昭和60年に取り壊されると言うことになってしまった。その際にヤマザキマザックの当時の社長である山崎照幸氏によって移築再生されることになった。中村昌生氏の指導監修の元、建築は安井杢工務店、庭は川崎幸次郎という名工、名人の手によって平成2年4月に移築され、太郎庵の茶室に変わり復元された。

暫遊の名前は楽只斎松尾宗二が覚々斎から送られた号である。

敷地面積約8000坪のうち、延べ床面積194坪の建物は手斧造りの栗材の堀で囲まれ、門を入ると、玄関車寄から偕楽の間へと続く。主屋が二重畳、次の間が10畳で正面には1間半の床、床柱は栂(つが) の四方柾である。残りの一間を床脇とし、池袋月で、一重棚がある。鍋島の間は立札席となっており、床脇の吹抜に長さの不揃いの竹を並べて2畳の貫を通した手法に特徴がある。その他に、高取の間、萩の間、丹波の間、信楽の間があり、また2階には朝日の間、備前の間、楽山の間、瀬戸の間がある。

本玄関脇に、中庭に通じる路地門がある。腰掛待合があり、飛び石伝いに中滑りへと進み、蹲踞(そんきょ)、茶室「暫遊」へと導かれる。

1畳台目目2畳の客座と1畳に中柱を立てた台目構えの手前座を付した珍しい席となっている。

 なお、偕楽の間から眺める中潜りと茶室の見える手入れの行き届いた中庭は、杉苔と四季折々の樹木の変化が堪能できる。

また、建物の西側には内玄関があり、苑路が施されて、木曽川の清流を後ろにして楓、梅、紅葉などが川面に彩りを添えている。

茶花について

 茶花は、美しい自然の花をそのままに、季節を表現して入れるのが良いとされています。それ以外にもいくつか要件があります。

・開きかけの蕾がよい。

・梅、卯の花、木瓜、雪柳、山朱萸(サンシュユ)、山吹、開花の花には木槿、芙蓉(ふよう)、桔梗などが良い

・花の向きとしては前向きが良い

・あまり器に丈高く入れない方が良い

・葉は葉裏を見せない方が良い。

・葉数は奇数を選ぶ

・汚れた葉は濡れ布巾で拭いてから刺す

・茶席の雰囲気を壊さない花を活ける

などです。

2020年8月19日水曜日

懐紙の扱い方

①菓子鉢を膝の前へ取り込み、亭主へ「お菓子をいただく」挨拶をしてから、右手で懐の懐紙を出します。

②身体の前で、左手をあしらい、本を開くように展ろげ、(1つの折り目が点前になるようにして)、菓子器の脇へ置きます。

正客は上座、次客以下は下座へ置くのが約束です。

③右手で箸を取り、身体の前で持ち直します。

④菓子を取って、懐紙の上へ出します。

⑤箸の先が汚れた場合は、懐紙の角で先を拭うようにします。

⑥身体の前で、再び箸を持ち直します。

⑦器へ戻してから器を隣りの客へ移します。

⑧懐紙ごと菓子を持ち上げ、食べやすい大きさに割って、口に入れます。

⑨食べ終わったら、懐紙を半分に折り畳み、右手で裁ち目の角を持ちます。

襟の間へ納め懐中します。

懐紙が汚れた場合は、その一枚を取り除いて裾に入れ放棄します。

2020年7月20日月曜日

餘楽庵

餘楽庵は、江戸時代に、美濃路街道の中に作られた萩原宿の一角にある京菓子の老舗です。

「和菓子を作るにも、お茶の修業を積んでいくうちに、自然に情緒性と精神性が養われて"茶心""絵心"が理解できるようになるだろう」と言う教えによりお茶の道に入ったという店主は、お茶の精神を日ごろから感じ、また追及しているとのことです。

 昭和18年頃に作られた茶室「餘楽庵」は、もともとは店舗の奥にあったもので、平成元年に店主原鉦三氏が街道をはさんだ店舗の向かいに、茶室と庭を作る際に移築したものです。

数寄屋門の戸を開け、まず目に映るのは見事に敷き詰められた青々と美しい杉苔。敷石を進んでいくと、右手に立て札席がある。店主の好みの設計に斬新さが感じられます。

 畳老化伝いに、八畳の寄付は表千家惺斎宗匠の好みの部屋を写したとのこと。隣接する八畳の間は、松風楼の写しの席となっている。
 廊下を曲がりさらにいくと、水や、小間「餘楽庵」向切の構えとなっている。窓のしつらいが互い違いになり、窓の外側に「刀掛け」が施されているの等の特徴がある。
 なお、庭には元禄15年の釣灯篭や丸石をくりぬいて作られた奈良時代のものと思われる灯篭があり、歴史を感じさせる。

 また、菓子、どうだん、わくら、もみじ、松、楓などが植えられてよく手入れされた庭の眺めが素晴らしいです。

2020年7月8日水曜日

ススキについて

9月に入り立秋が過ぎると暑中見舞いが残暑見舞いに変わり、暦の上では秋になります。そんな中で秋らしさを見せてくれるのがススキです。

 ススキは東アジアから日本全土に広がるイネ科の植物です。夏のおわりごろから晩秋の季節まで、どこでも見られ日本の秋を演出する植物です。
 かつてセイタカアワダチソウが猛威を振るっていた頃、このアメリカの花は日本のススキの縄張りを荒らし、日本を占領していましたが、今ではススキも戻ってきました。

 ススキは、古く万葉の時代からうたにも出てきました。万葉集には「ススキ」の名の出る物が17首、「オバナ」19首、「カヤ」10首と多いです。
「人皆は 萩を秋という よくわれは 尾花か末(うれ)を 秋とはいはむ」万葉額しゃん愛知淑徳大学教授だった稲垣富夫先生は、「世の人は誰しも萩に秋を感ずるという。なんと言おうと私は、尾花の穂末をこそ秋を思わせる物だと言おう」と仮設されていました。やはり、日本の秋を代表する植物は昔から萩では無くススキだったのではないでしょうか。

【ススキの呼び名】
ススキを尾花と呼ぶのは初秋の頃から出る花穂が獣の尾の形に似ているために名付けられたのです。また、一般的にこの植物をカヤと呼ぶのは、夏の頃充実した茎と葉を刈り取って乾燥させ、屋根を葺くのに使い、この家屋をカヤブキと呼んだからです。
 以前は茅葺きの家は田舎に行けばごく普通に見られたのですが、最近ではその景観を見ることはほとんど出来なくなってしまいました。
 世界文化遺産に登録されている岐阜県白川郷の合掌の家は、すべて茅葺きです。

【ススキの園芸品種】
 ススキ野とは荒れた原野に最初に育ってくるのが、ススキであったためこう名付けられたのだそうです。荒れ地・原野で育っているようなものを庭や鉢植えで鑑賞するというのはいかがなものでしょう。
 ところが最近はこのススキの仲間にも色々緩衝性の高い物が登場してきました。

シマススキ
 高さ2m近くなり、葉にリボンのような乳白色の縦縞が入るモノで、この縞が葉の中央部と外側に入る種類があり、とても涼しそうな感じで庭に良く似合います。

タカノハススキ
 葉に黄色い横縞が段々模様に入る、とても鑑賞価値の高い種類で鉢植えや庭植えに適しています。葉の模様からトラフススキとかゼブラグラスの英名もあります。

イトススキ
 葉の細い系統で高さも1mくらいです。とても繊細な感じがする中形タイプのススキです。

ヤクシマススキ
 葉が細く高さもあまり高くならない物で、山野草愛好家に好まれ、専ら鉢植えでたのしみます。

シロガネヨシ
 ススキに近い仲間で南米のブラジルからアルゼンチンの荒れ地・パンパに自生する大型種でパンパスグラスの名前でよく知られます。雄大な花穂を出し公園やゴルフ場などの景観にはとてもよく似合います。

 ススキの仲間はこれまで庭に植えたり、鉢に植えることはほとんどなかったのですが、最近の英国風の庭園やコンテナガーデンの流行で、自然風の植栽にはススキの仲間がとてもよく似合うと今人気上昇中です。
 自然風・繊細さ・風にゆらぐ風情、色々が鑑賞されています。

2020年6月27日土曜日

水指

水指は、水器とも呼ばれます。古い箱書などには水差とも書かれています。

水指の歴史を追ってみると、古くは桃山時代千利休の頃には佗道具が主体であり、特に土焼(土釉のかけていない焼物)が茶席にぴったりします。

小間の水指から説明します。外国からの渡り物では、南蛮、ハンネラ、寸胡録等が代表され、中でも南蛮は芋頭、縄スダレなどの形が著名で、全体黒に近い茶褐色で、濃茶席でも大変格式高い水指です。
 一品、国内焼では、瀬戸、伊賀、備前、志野、朝鮮唐津、常滑等かなりの種類があります。瀬戸は、室町期より茶入ぐすりの茶褐色のものや、利休時代の渋紙手の物などがあります。
 伊賀は、豪壮な作行がよろこばれ、火色、コゲ、ビードロ釉が大事なみどころです。近年五島美術館の破れ袋が有名ですが、前述のように窯変、火力による火割れが見所の一つになっています。
 又、風炉の時期や、向切のお席に合うかなり低い水指も作られています。古くは、古田織部指導の頃の筒井伊賀、続いて藤堂高虎時代、遠州伊賀と盛んに作られました。
 備前焼は鎌倉時台当りまで古くさかのぼりますが、茶陶の焼き物は桃山時代が中心です。一般に古備前と呼ばれ、作行は変化に富みねっとりした田土の中には火色と黄味をおびたえのき肌や、ところどころのゴマ等をよろこばれます。
 口造りは、織部風の矢筈口や、全体ところどころの強いヘラ目等非常に大事な所です。形は堂々とした大振りなものや、他割合数のある種壷形や名残の頃の細水指などあり、壷も共蓋が最高ですが、中には赤絵の蓋のついた水指は一段と道具畳を引き立たせます。
 一方、火色が少ないですが、えのき肌やにぶい光沢がひときわ茶味を引き立たせる印部手、白地に襷のある火襷など茶席には好適です。中でも最も代表的な古い水指に徳川美術館蔵、紹鴎所持、大名物銘青海や、畠山美術館の火襷水指など、著名です。
 志野は、茶碗同様優品は数多くありませんが、口造りは織部好みの矢筈口が理想で、全体変化のある豪壮などっしりとした大振りの形で肌はやわらなか光沢のある柚肌、土味はねっとりとしたモグサ土がみやすく、文様は赤味の効いた山、垣根、草花、鳥、丸文等多種描かれている。

 次に朝鮮唐津は、朝鮮とついていますが、桃山時代の頃唐津で作られた焼物で茶碗で言うならば奥高麗といった意味合いです。当時、秀吉、朝鮮との戦の頃、朝鮮の陶工を連れ帰ったと言うのが始まりです。形は低い円筒形の桶形で、黒釉と白釉が互いに二分され、その中に青いナマコ釉があざやかに調和されております。この手も数が少ないようです。

 次に、利休から遠州時代にまると、広間のきらびやかな水指が取り上げられます。中国明末期中心に様々な日本人好みの型物水指が生まれます。
 まず第一に古染付ですが、中国の元時代よりはじまり、明の永楽、宣徳、万暦等さまざまな高度の染付が作られておりますが、日本の茶陶の染付、呉州、祥瑞水指は明代末天啓頃、宣徳鎮の明窯で作られております。
 中でも桜閣山水の芋頭、ブドウ棚、竹ノ絵等有り、全体純白の白地に藍の色がひときわやわらかく、又、虫食い(くすりめくれ)が茶人に好まれております。
 また、呉州は染め付けの一種ですが、藍の色がうすくしかしながら上品な雰囲気があります。呉州菱馬、十二角等代表的な水指です。
 祥瑞は、遠州呉のみで藍の色が古染付よりも一段と深く、又虫喰いなどはありません。古染付、呉州と同様純白の土味ですが、ところどころゴマ土と言って、高台にゴマのひっつきが見られます。これら染付、呉州、祥瑞などの型物水指は必ず共蓋が約束です。
 他、中国の焼物水指は元々、丼、鉢でできたもので、万暦時代の升鉢や呉州赤絵鉢が水指に入った物もあります。いずれも広間の棚物には最適な水指です。
 一方、おとなりの朝鮮李朝の頃には刷毛目、粉引等の朝鮮の焼物が作られ、元々鉢だったものこれらも応用されたものです。
 又、遠く和欄陀の水指は、白、青等の一色の物や、白地に赤、黄、緑、青等非常に鮮やかな色絵(くさへんに良)葉水指が少数ながら伝来しています。

2020年6月21日日曜日

含山軒

含山軒

滋賀県長浜市にある真宗大谷派・長浜別院「大通寺」は、歴史が古く、長浜を中心とした湖北地方の振興と伝統の要となる寺院である。7000坪もある境内には、文化財の宝庫と言われるほど国の重要文化財や件文化財、市文化財の指定を受けた建築物が多い。県内屈指と言われる総ケヤキ造りの山門は重層で、脇門も桃山時代に作られた斧で、旧長浜城の大手門と伝えられている。

重要文化財の大通寺客室は、多少数寄屋風を加味した書院で、蘭亭と含山軒があり、江戸時代初期から中期に建てられた。蘭亭の名は、円山応拳筆による蘭亭曲水宴図の襖絵から取っていると言われ、含山軒の名は、伊吹山が正面に見えることから付けられたという。

含山軒の一の間は、狩野山雪筆の山水画が描かれている。茶席は三畳台目で、床の間は、いわゆる原叟床の形を取り、床柱は角材となっている。極めて変わった形式で、客畳二畳の上が平天井、点前座の上が落天井になっていて、茶道口上の天井は床の間との関連上、一段と高く作られている。

点前座の西は四尺五寸ほどの連子窓となっており、風炉先窓は茶道畳前(北)にある。それに続いてにじり口がもうけられ、そのすぐ右に連子窓が柱いっぱいに開けられている。部屋の一番東(客畳後ろ)に三尺二本引きの襖が入れられていて、一の間から入ることも出来るようになっている。東本願寺の長浜別院としての茶席であり、どことなく気品高い構造のあとがうかがわれる。一の間からは、庭の向こうに、伊吹山がその秀麗な姿を正面に現しているのが望める。この庭は小堀遠州の高弟の作と伝えられている枯山水の庭で、空地には中島を置き、石橋を架け、歩石を配している。つまり、伊吹山を借景に取り入れているわけで、冬に息吹の峰を白く飾る雪も、庭の大切な景観となっている。

2020年6月15日月曜日

炉・透木の使い方

炉の終りに近いころ(3,4月)、透木釜と呼ばれる、釜に羽のついた釜を用いることが、間々あります。
釜の羽と炉壇の間に"透木"と呼ぶ板をはさみ、炉と釜の間の空気の流れをよくするために考えられたものです。

常の通りに釜を炉から上げて、茶道畳の所定の位置へ移し、鐶をはずして、左横へ置き並べます。

①身体を炉に向かわせ、右手で炉壇に乗っている透木を持ちます。
②身体の前で左手に受けます。
③左の透木を持ちます。
④左手の透木の上へ重ねます。
⑤ひと膝左へ向きます。
⑥左手の透木を右手で持ちます。
⑦左手で上から持つようにします。
⑧鐶の左へ並べるように置きます。

釜を懸ける時は、今はずした時の全く逆の手順で行います。ただし、釜を載せた後、釜の乗り具合を眺めて不都合のある場合は、

⑨右ならば、右手で鐶を持ち上げ、一旦左手に持たせて、右手で透木を直し、左手に持たせた鐶を右手に持ってから、鐶を釜へ預けます。(左右が逆ならばすべてこの逆になります。)

2020年5月23日土曜日

3月の茶事

透木釜
大蓋の釜から普通の釜にも土肥、透木釜に変えていく季節です。
炭点前をするに当たっては透木の扱いが必要になります。

透木釜は「羽釜」と言う呼び名で呼ばれることもあります。この羽のことを「煙返し」とも言います。炉の廻りをいっぱいに塞ぐので、炉内の火気が見えないので暖かくなってきたこの時期にふさわしいとされています。

湖舟庵

滋賀県長浜市に黒壁スクエアと言う施設があります。
湖舟庵は、23館からなる黒壁スクエアの中の10号館で、黒壁ガラス鑑賞館の中庭にあります。
鑑賞館の表門は、かつて長浜城内の秀吉公茶亭門であったと伝えられています。
中庭にある湖舟庵は現在は使われていない。

2020年5月17日日曜日

香合の扱い方

炭道具として使われる香合は、国内外含めかなりの種類と数があります。
古来中国の堆朱(ついしゅ)、堆黒(ついこく)に始まり、室町・東山時代に日本に到来しています。日本の香合も古くは鎌倉時代より作られ、錫椽(すずたるき)、鎌倉彫、根来等が代表的な物です。

堆朱は宗・元の時代に始まりますが、現在残っている物はほとんど明時代のものです。中でも張成、楊茂、周明は堆朱三作と呼ばれ、畳附(底面)に針彫で在銘をみるものがありますが、この在銘も彫り方があまり深く彫られておらず、線が細く浮かび出ている物の方が確かなようです。何百回も塗りを重ね、その上に文様を彫出した物で、持った感じ非常に重厚感があります。
堆朱の香合は赤漆が中心ですが、数少ない物の緑や黄色が入っている香合もあります。例えば牡丹文や椿文のもので、花が朱、葉が緑で紅花緑葉と言って、喜ばれます。更にその上にところどころ黄漆が見られる物がありますが、更に珍品上手な香合です。

堆黒は堆朱の一種ですが、よく注意深く拝見すると、底に朱が見えたりする物があります。中でも地肌がはっきりと朱が見え彫文様のところが黒い物を堆黒地紅と呼びよりよろこばれます。又、朱が見えず、非常に光沢のよい黒色を発する物を特に堆鳥と呼びます。

香合は、茶人の間では香箱とも呼ばれ、炭道具の中で特に重要視されています。

さて、日本でも同じくらい古い香合に錫椽香合があります。最も古い物は数は少ないですが鎌倉時代に始まっています。元々化粧道具として作られた物で、蓋と身に蒔絵がほどこされ、合口が錫になっています。形は、正方形、長角、丸形と三種あり、蒔絵は梨子地に平蒔絵やだんだんと時代が進むにつれ、研出(とぎだし)、低い高蒔絵等なき絵技法も大事なみどころがあります。他に、堆朱の技術を取り入れ、鎌倉時代の禅寺で造られたと言われる鎌倉彫や紀州根来寺において造られた根来塗が古くからつたわっています。このように、中国の堆朱堆黒日本の漆器、蒔絵香合は、桃山時代を境に流行する焼物香合より古い時代に使われています。特に東山時代の頃より沈香木の貴重さ、又それを入れる沈箱更に小分けするための器として好まれた物と思われます。

 時代も桃山、江戸、利休織部、遠州等大茶人の茶道が本格化してくると、焼物香合を外国(特に中国)へ注文したり日本でも好みのものが造られます。青磁、染付、呉州、祥瑞、中国南方の交趾やはるか紅毛(オランダ)まで発注されます。また、日本でも黄瀬戸、志野、織部、仁清、乾山等が造られます。このように、注文品、好み品含めこれらの香合を形物香合と呼びます。形物香合一覧表が江戸幕末頃作られ相撲番付のようになっていますが、右欄(東方)は第一段大関より交趾が並び、二段、三段に青磁、交趾の順に占められています。又左欄(西方)は染付、呉州中心になり他国焼が並んでいます。よく茶会でこれは形物でアガりもよく、結構ですという会話がありますが、それほど昔から茶人間で大切にしてきた物です。

 交趾香合は、大亀、台牛、桃の順に出てきますが、見所は黄、緑(青)、紫、他白檀(金箔を張り付ける)釉薬があり、それぞれ一色のもの二色のもの三色のものに色分けられ鮮やかさは玉を見るが如くの発色が大切です。又、蓋裏、身裏では土や肌を見ることができますが、土はきめ細やかなやわらかい土、肌は卵の乳白のごとくすべすべした肌合いが肝要です。交趾はよく黄を第一とすると言いますが、それほど鮮明な色が大事と言う事です。口切りの小間の茶室の中では特に色鮮やかで愛着を感じます。

 青磁は花入、茶碗、鉢等は時代古く南宋、元まで遡りますが、香合は全て明末に作られています。交趾同様格調高く、西方では一段目に桔梗、桃、一葉の三点のみがのっています。青磁香合は時代的に七官手ですが、砧(きぬた)、天龍寺に近いぐらいの色が理想的です。

 土は、赤土がみやすくだいじなところです。染付は代表格辻堂や、哥仝鳥(叭々鳥)荘子他多数ありますが、茶人好みの古染付でやわらかな藍の発色と虫喰い(くすりめくれ)や、土は白地で全体充分な堅さが良いです。

 祥瑞は、江戸初期遠州注文と言われます。染付よりも藍が深く絵文様も繊細になります。蜜柑が西方二段目にみえます。祥瑞香合の中では第一ですが、五郎大夫、呉祥瑞造の在銘を見逃せません。祥瑞は虫喰いは無く、土はゴマ土が約束です。又、遠州はオランダまで注文したと言われ、現存の白雁香合は数点のみです。広間の取合わせには洒落たうってつけのものです。又、反り物の刑物香合は中国でのおめでたい形文字日本人好みの形等多く見られます。
 次に、国焼も桃山時代よりつくられています。黄瀬戸根太(きぜとねぶと)、伊賀伽藍(がらん)、志野宝珠、織部菊カブト、青分銅が番付に入っています。黄瀬戸はやわらかなあぶらあげ肌に全体薄黄がかかり、その中にタンパン、コゲ等上品さが大事な所です。根太は先がとがり丁度三角形のような形で、又、先が丸みを帯びた宝珠の形もあります。志野は辻堂、一文字、茄子等ありますがどれも光沢の良い柚肌に火色や鉄絵がみどころです。織部は、ご承知のように古田織部好みで、他ハジキ形が著名ですが、白地の中に青うわ具売りの光沢のよさを見逃せません。また、茶碗と色がわりが反対で、香合は大半青織部が多いようですが、黒織部香合は非常に少ないようです。

 又、遠州の後、京焼の名工、仁清の白雁、乾山の檜梅等の形合香合も加えられています。焼物香合は形物の番付の格は大事なことですが、キスケのなさ、アガリのよさ等その条件を満たした物がより大事です。

2020年5月16日土曜日

欅庵

欅庵は、豊明市文化会館の別棟として建てられています。

茶室は4畳半の広さで、利休床が付けられています。床柱は赤松で、下に細い竹のこがとってあり、床框(とこがまち)には、麿丸太が使われている。床は南に面し、床の正面南口はにじり口、床のすぐ西横に給仕口がある。床に向かって東側の中央は二本引の貴人口となり、西側角は茶道口となっている。

天井は薄く削った竹で格子に組んだ平天井で、西側一畳半分は、ゆるやかな駆け込み天井となっていて、ほぼ中央に突き上げ窓がもうけられている。にじり口上は二本引の連子窓で、また西側にも、一段下がって二本引の窓となって、広く明かりが採れる仕組みになっている。

9月の茶事

重陽の節句

9月9日は「重陽の節句」と言います。
九は数字の上から「陽」に当り、これが2つ重なることから重陽と称されます。
また、菊の節句と言われています。 菊は寿命長延、除災の花です。

重陽の宴というのは、元々中国から伝承され、宮中で催される行事でアリ、大同2年(807年)から始まり、徳川時代まで続いたと言われています。

中秋の名月

9月15日は仲秋(中秋)の名月です。

月見のお点前が行われます。

2020年5月12日火曜日

大慈庵

大慈庵は、みよし市にある文化センター サンアートの中にある。

3畳台目の茶室で、茶会に利用される。床の間は4尺5寸幅の利休床で南面している。床の間の東には黒蹟窓(ぼくせきまど)を備え、西側には風炉先窓を兼ねた、大きな下地窓が明けられている。床柱は赤松で、床框(とこがまち)は北山杉。床の間の内部は塗り回しの壁になっているが、西側に楊枝柱が付けられ、柳釘が打たれている。

茶道畳の後ろに方立の茶道口が開けられ、その南に火灯窓の給仕口が開けられている。客の入り口は床の正面ににじり口があり、その東側には二本引の貴人口も付けられている。

外の日本庭園「鶴駕苑は」広く美しく刈り込まれた芝生が鮮やか。

大慈庵の南には栄松軒があり、江戸時代に和歌・書・茶道などで名を馳せたみよし市福田出身の酒井利亮の業績を伝えるために酒井家の茶室を再現した物で、こちらも茶会に利用できる。

2020年5月8日金曜日

工法庵

中部大学にある工法庵は、春日井市にあります。

工法庵は貞享3年(1686)出版の『数寄屋工法集』に記される千利休茶室の寸法書きを忠実に復元した茶室だそうで、平成2年2月28火の利休400回忌の日に完成した。

利休が設計したと言われる茶室は、京都府乙訓群大山崎町の妙喜庵に国宝「待庵」がある。しかし、中部大学の伊藤平左エ門教授は建築士と建築意匠が専門で、現存する待庵は建築当時の物と比べて数カ所の違いがあることを発見。学生達の卒業研究を課ねえ、同大学構内に実物大で復元された。

伊藤教授に依れば、一つ目の違いは床の間が洞床と異なり、奥隅の柱が見えること。待庵では柱が土壁で塗り回されていて見えない。また鴨居や敷居、棚の寸法・計上にも違いがある。立て替えや補修がしばしばあったものと思われるという。

 工法庵は二畳台目の多湿で、床は当然ながら利休床の寸法で、4尺5寸の間口を持ち、炉は隅炉である。次の間は板畳を入れた1畳の間であり、その東に1畳の間で水屋がある。

床の正面はにじり口になっている。にじり口には約束通り板戸が嵌められており、その上部は竹格子の付いた連子窓で、竹の組子の障子2枚が入っている。床より向かって左の壁には床に近い方に下地窓があり、掛障子を掛ける。次ににじり口までの間にも下地窓と一本引きの障子がある。

2020年5月4日月曜日

利休七則

茶道・茶の湯の世界には、利休七則、と言う物があります。
読み替えれば現代社会でも役立つ言葉が沢山なので、ご紹介したいと思います。

利休七則
  1. 茶は服のよきように点て
  2. 炭は湯の沸くように置き
  3. 花は野にあるように生け
  4. 夏は涼しく冬暖かに
  5. 刻限は早めに
  6. 降らずとも傘の用意
  7. 相客に心せよ
分かるようで分からないですよね。1つずつ見ていきたいと思います。

1. 茶は服のよきように点て 

お抹茶の世界では、お茶は"煎れる"ではなく、"点てる" と言います。茶筅(泡立て器的なやつ)でシャカシャカすることですね。"服"と言うのは、飲むことなので、言い換えると、「お茶を作るのは飲むのに良い感じでやりましょう。」と言うことです。
 茶道のお稽古では、あれのお点前の次はこれでこれで…、とか、大体どのくらいのタイミングで客がお菓子を召し上がるからそれに合わせてこれで。とか言うのがあるのですが、実際にやるときはその時の客の様子だったり、釜のお湯加減だったり火加減だったりを考えながらベストなおもてなしをしましょう。と言うことですね。
 実際、正式なお茶会の中でも、客からお茶が濃いとか熱いとか色々あると薄めたり冷めるのを待ったり、と言うのが普通にあります。型だけの世界では無いのです。
 ただし、そう言うイレギュラーなやりとりをするためにも、基本の型を何も考えなくても お点前が出来て、それ以外の状況にしっかりと対応出来るような練習を積むことが必要になります。

2. 炭は湯の沸くように置き 

 炭はお茶を点てる上で大事なお湯を沸かすために使います。"置き"と言うのは、炭の置き方一つで火の周り方が変わり、お湯の沸くタイミングやその温度などが変わってきます。でも、恐らく茶道を多少聞きかじった程度では、炭の置き方(継ぎ方)に作法があることも知らないと思いますし、お茶室独特の香りの秘密が炭と香によって生まれていることも知らないと思います。大事なんですが、表に出ない作業なんですね。つまり、
「客の目に見えないような炭継ぎも、お湯がしっかり沸くようにやりなさい。」
と言うことなんですね。


3. 花は野にあるように生け 

 お茶会を開くときには必ず床の間にお花を生けます。これを野にあるように生ける、と言うのは複数の意味を持っていますが、読んでそのままの、「その辺に咲いてるそのままで生けろ」と言う訳(だけ)ではありません。特に現代のお点前で大事なのは、
「自然界に無いようなモリモリに盛ったお花を生けてはいけないよ。」
と言うことです。現代華道はどうしても、華美なものの方が'映える'ので、そうなりがちですが、お茶花というのはそう言う物ではなく、落ち着いた物の方が良いのです。
それでいて、野にあるように、"今が旬の花"を丁寧に生けるのが良いのです。そして、客としては、「あれ、これってこの辺りだとつい最近咲き始めたお花だけど、ひょっとして今日開花するように準備してました?」みたいなふうに、亭主の気遣いに気づけると良いと思います。


4. 夏は涼しく冬暖かに 

当然、利休が生きていた時代にはエアコンなどありません。でも、夏は涼しく、冬は暖かく感じるような気遣いが必要なのです。例えば、夏には打ち水をして涼しくしたり、冬は帰宅前に羽織りを暖めておく、などです。それ以外にも夏はガラス製の水指を道具として使ったり、冬は暖かい色の出し帛紗を出したりと目で涼やかさや暖かさを出すなど、色々考えられます。
 とてもメジャーな所で言うと、お茶の世界では、"夏茶碗"、"冬茶碗"と言うのがあります。夏茶碗はご飯茶碗のような形をしていて、口が広く浅いためすぐにお茶がぬるくなり、夏にお茶が飲みやすくなります。逆に冬茶碗は所謂湯飲みのように口が小さく深いので長い間暖かさを保つ事が出来ます。
 エアコンが無いから涼しく出来ない、と言って諦めるのでは無く、気遣いでそこをカバーする、と言うのが大事と言うことです。とは言え、現代の暑さはエアコン無しでは乗り切れないのでうちのお茶室にはエアコンついてますが。  

5. 刻限は早めに 

つまり、「時間に余裕を持とう」と言うことですね。時計もスマホも無い時代、お茶会のお誘いをして、客が早く来てしまい準備が出来ていなかった、客が遅刻してしまった。と言うことが多かったのかも知れません。
 亭主側からすれば、時間に余裕を持って準備をすれば、それだけしっかりとおもてなしの準備が出来ますし、客が時間に余裕を持って到着すれば、それだけ亭主がベストのタイミングでお湯を沸かすための準備などをすることが出来るわけです。(正式なお茶会では、現代の結婚式のように客が来たら待合室的な所で待つので、早く来てもらう分には割と時間調整できるのです。)

6. 降らずとも傘の用意

そのまま、「雨が降らなくても傘を用意しよう」と言うことですが、どういうことかというと、客をもてなしている間に雨が降ってくると帰り客がぬれてしまうので亭主が傘を用意しておくことを表しています。
 昔は折りたたみ傘も無かったですし、天気予報も無かったので、突然の雨が降り出すと困ってしまうのでおもてなしに集中して貰えず残念なので、それを避けるために準備をしておこうというお話です。


7. 相客に心せよ

お茶会では大抵、客は複数人います。正客と言われる客側のリーダー的な動きをする人とそれ以外の人がいるのですが、それは一旦置いておいて、同席した客をお互いに相客と言います。
 本来亭主が客をもてなすのがメインとなるお茶会ですが、客同士でも気を使い、より良いお茶会にしましょう。と言う事です。

2020年5月3日日曜日

照源寺

浄土宗 東海山 照源寺

昭和5年に出来た11畳半の書院の間は、残月床となっていて、長板天井も棚も桐で、四方柾の柱、桐の模様の襖となっている。また、茶室「聴松軒」は、六畳の茶室で、松平の殿様が、約束事を書いた軸が掛けられていた。

風炉・透木の扱い方

炭点前を常の通りに進めてゆきます。 釜を釜敷に上げ、炭斗(すみとり)の後方へ引き移し、釜の鐶をはずして、釜の横に預けて、身体を風炉の前へ戻します。 ①右手で、風炉の客付きの透木を取ります。 ②身体の前へ持ってきて、右手で受けるように持たせます。 ③透木の勝手付の方を同様に持ち、身体の前にします。 ④右手は先述の透木を受けていますが、今度の透木も、その受けている上へ載せます。(風炉についていた面が重なり合い、火の方へ向いていた側がそれぞれ右になっています。) ⑤右を畳に突いて、一膝右へ向きます。 ⑥左手に受けている二本の透木を、右手で持ちます。 ⑦鐶の右へ並べるように置きます。 その後の作法は常の通りです。 香合の拝見があったとすれば、香合を出した、戻る手で透木を取ります。その他であれば一膝右へ向いて、透木を取り、左手に受けて、風炉に賞綿糸、前述の逆に左から、右に透木を風炉の上へ乗せます。 ①鐶を釜にかけて風炉のちかくへ釜を寄せて風炉に釜を乗せます。作法は常の炭点前と同様です。 ②釜を風炉に乗せ、釜敷きを炭斗に戻します。 釜の乗り具合を見て、直す場合はしかるべく直し、以下常の通りに行います。

風炉には、風炉の七歪みと呼ばれていることがあります。
  1. 小板 真っ直ぐ
  2. 風炉 歪み
  3. 五徳 真っ直ぐ
  4. 灰 歪み
  5. 釜 真っ直ぐ
  6. 釜 歪み
  7. 躰は斜めに
風炉の敷板(小板とも言います)を茶道畳の勝手付から、畳の目数5, 7, 9, 11目と格好を見計らって開け、客付(右側)の板の線を畳の目にきっちりと揃えて置きます。
次に、その上に風炉を乗せますが、およそ1.5cm程正面を右へ捻るように据えます。五徳はまっすぐ正面に向かい、灰の型は風炉に添って斜めと言うことになります。 前瓦は五徳の爪と爪の中央で、灰の線よりやや中に灰の確度よりやや立てる気持ちで入れます。灰の型は船底灰という型に抑え上げます。
 
切り合わせの釜の場合は、灰を丸く抑えます。この場合の円の大きさは風炉の懸け口と同じような大きさが良いと言われています。
 
風炉が丸く、灰も丸いので、楽だと言えるかも知れませんが、前瓦は、先述の約束事を思い出して、真っ直ぐ前に向けて入れなければなりません。 

いずれの風炉の場合でも、唐銅の風炉の仕上げは、押さえ切りです。鉄の風炉の場合は、羽根目、又は火箸目で仕上げます。
 

ギボウシ

ギボウシは宿根性で冬は地上部は枯れるが春になるとハチクにもにた小さな新芽が沢山出る。やがてしゃもじににた先の尖った葉が株穴から何十枚も群がり出る。葉は主として緑色系だがそれぞれに色彩や模様があり、特に新葉の時期は美しく、降霜期になると枯れて休眠する。 梅雨の頃花茎が伸び、そこにラッパを細長くしたような、白色系の花が段々に下から上へ向かって咲く。ギボウシとは、この花が開花する直前の集合体の姿が、宝珠の形に似る所から疑宝珠と名付けられた。 1830年頃、シーボルトによって日本からオランダ植物園に持ち込まれている。彼は同時にヤツデ・アオキ・ハラン・カエデなども持ち帰った。これらの植物類は現在でも鉢植えや庭木として盛んに使われている。 日本ではヤシ・ドラセナなどの熱帯産の葉の色彩や模様が美しい植物を流石、欧米で観葉植物(フオリエジプラント)と言うと、葉の色彩や模様が美しく緩衝性が高い物であれば熱帯・温帯の区別は無く、ヤツデなどの他、ナンテン・カクレミノ・マサキ・シュロその他が優れた観葉植物として取り扱われている。英国・フランスなどどこの国へ行ってもお役所やホテルなどのロビーにはこれらの鉢植えが飾られている。 ギボウシはオランダにもたらされた物だが、その後英国を始めとする欧州諸国に広がってさらにアメリカにまで渡って発展を続けている。

一雨軒

津島駅の近くにある学校法人平山学園 清林館高等学校は、礼儀作法や精神力の鍛錬などの情操教育に力を注いでおり、その一環として茶道もあり、同校所有の「三養荘」が使われている。 三養荘は、江戸時代中期に建築され、明治初期からは豪商の居宅となった。それだけに、玄関脇の連子窓にはまる格子戸には商家らしい面影が残っている。玄関を開けて中に入ると、黒光りする欅の大黒柱、四間続き34畳の座敷、それにのぞむ露地の庭など、外から想像できない広さと風格を持っている。 更に、昭和4年に点てられたという書院のある一棟は、当時の銘木を用いた数寄屋造りで、津島随一といわれる本格的露地と共に、松尾宗吾宗匠が設計をされたものである。 一雨軒は、千宗旦好みの茶席で、全国的にも著名な数寄屋である。明治中期に京都から津島に移築され、書院の建築の折に現在の地に再建された物という。屋根尾こけら葺きも痛みが少なく、樹木の間にひっそりと建っている。 茶室内は三畳台目で、床は下座床。床正面ににじり口があり、床柱は杉か栗のなぐりの柱で、框(かまち)は北山杉の入節が使われている。床前畳の左に黒蹟窓、にじり口上は連子窓があり、その右側に下地窓がある。 三養荘とは、「進行、勤労、実際」の三つの心を養う場にしたいという願いを込めて命名されたと言う。昭和60年に同行所有となって今に至っている。

木槿(ムクゲ)

木槿は、風炉の花の代表格として珍重される。 夏から秋にかけて初花、盛花、残花と何度も咲き継ぎ、徐々に花数は多く、花は小さくなり残花は名残に使われる。江戸時代に栽培が流行した木槿は、今も日本のほぼ全土で見られる夏の花である。
「風炉の季節は木槿一輪あれば良い」と言われるほど。
 茶花について、「何日も保つ花よりも、その日にしぼむ花のほうが、今日のお客様のためにこの花を選んだ、と言うことが分かって良い。」と言われていて、木槿はまさにその日にしぼむ一日花なのでうってつけ、ということです。

ムクゲの呼び名は朝鮮半島で無窮花(ムグンファ・ムキュゲ)と呼ばれていたのがなまったものと言われている。韓国では木槿が国花である。

茶会記に搭乗するのは「松屋会記」「天王寺屋会記」からで、「山上宗二記」には、「一八・木槿ともに白は入れるべし」とある。
茶花に使用される木槿は初期から白花が好まれたらしい。特に、朝茶に使う場合は白花を使い、露を含んだ白い木槿の涼味と正常さを賞でる。

有名な宗旦木槿は、一重咲きの小輪で、花弁幅は中くらい。センタンはやや丸みを帯び、全体は白色で、底紅。極めてわずかにピンクを帯びている。花は強く平開せず、反転しない。利休居士の孫、宗旦が茶席に初めて入れたため、宗旦木槿の名で呼び習わされている。
これに対し、小堀遠州後のみの純白を遠州木槿という。
いずれも一重ではかなげな感じが好まれた。 現在でも茶花としては華やかな物は平開するものを避け、一重のものが使われる。
ただ祇園祭に祇園守という半八重咲を生けたり、由緒ある花なら風情を楽しんで八重咲を生けることもある。 木槿の種類は70種類以上あるともいわれている。一重咲き、半八重咲き、八重咲きとあり、色も白・桃色・煉瓦色・紅色・薄紫色・濃紫色と多彩である。更に底紅があるものと無いものがある。

育て方
木槿は耐寒性があり、鉢植えでも地植えでも育てやすい。ただ、放任すると木が高くなりやすいので芽立ちの前に剪定をする必要があります。
剪定の適期は2~3月初旬で、幹を1メートル程の高さで切ると、そこから出た一年枝に花がつく。2年目の剪定は元から間引く枝と枝先を三分の一ほど切り詰める二種の枝作りをして、茶花にふさわしい小ぶりの花を咲かせる。
翌年以降は二年枝を元から切って更新していく。
挿し木でもよくつくし、接ぎ木も簡単にできる。

2020年4月24日金曜日

【コロナ対応特別企画】抹茶を飲もう!

前回の記事で「裾野が広い」と言った、茶華道業界ですが、今回はお抹茶の話をしたいと思います。

 と、言うのは今の巣ごもり環境でも気軽に和文化に触れられると思うからです。お抹茶って普段の生活ではあまり使わなくて、Nana's Green Teaで飲んだりするくらいでしょうか?冷蔵庫に入っている家庭も少ないと思います。でも、外出自粛で気分転換が出来ないこのタイミングに、是非自宅でお抹茶にも挑戦してもらいたいと思います。

良く、長く茶道をやられている諸先輩方に話を聞くと、「毎日(毎週)お抹茶を点てて飲むことが健康長寿の秘訣です。」みたいな話を良く聞きます。
良く、抹茶に含まれている成分で健康に良いと言われる物は、下記のような物があります。
  • カテキン
  • テアニン
  • ビタミンC
  • カフェイン
  • ミネラル
  • サポニン
但し、こう言った成分は劣化しやすいものばかりです。ですので、保存について細心の注意が必要になります。
 光:風味の劣化や退色
 温度・湿気:ダマになる
 臭気:臭い移り
ですので、冷暗所で保存をし、開けたら出来るだけ早く消費しきると言うのが大事になります。お抹茶を購入すると必ず銀色の袋に入っている状態になっているかと思いますが、このためです。また、一度に大量に購入する必要は無いかと思います。

普段は店舗で直接買うので、利用したことは無いのですが、今はネットでも購入することが出来るようです。送料がもったいないかも知れませんが、抹茶を最大限楽しむために、必要量ずつ購入することをお勧めします。

ちなみに、利休の時代は今のように冷蔵庫や除湿機があるわけでは無かったので、専用の容器に入れて、縁の下などの冷暗所に保管していました。この容器がずいずいずっころばしでおなじみの"茶壺"です。茶壺はお茶会でお客様に見てもらうことがほぼ無い茶道具ですが、茶壺一つとっても色々なものがあるので今度紹介したいと思います。

さて、お抹茶の買い方です。
実際にお抹茶を楽しんでもらうに当り、下のリンクは楽天アフィリエイトで出しているリンクなので購入してもらうと個人的にポイントがもらえて嬉しい感じなのですが、現時点で僕自身が収入が激減して困っているわけではないので、ご自分で気に入った物をお探し頂ければと思います。
(個人的には本当に困っている人達がこう言うツールを使って収益化してもらった方がもっと深みのある説明が出来るしより良いと思うのですが…。)

普段だと、
一保堂さんとか妙香園さんとかを使っています。一保堂さんの初昔あたり、そんなに高くなくて始めやすいかと思います。

「買ったとしても茶筅が無いからお茶を点てられないよ」と言う人がいるかもしれません。ただ、道具を揃え出すと大変かも知れないので、無ければ箸でかき混ぜても味としては変わらないと思います。もう少し本格的にやりたいな、となったら購入すれば良いのでは無いかと思います。但し、萩などの茶碗を使うとき(特に高い物)は、茶碗を傷つけてしまうかも知れないので、茶筅を使わないといけません。

また、抹茶の健康成分を摂取するだけなら、ヨーグルトやミルクに混ぜたり、料理に混ぜることも可能なのでそのような使い方も良いかも知れません。

せっかくなので、簡単なお点前の抜粋版を書いておきます。コレ通りにやる必要は無いですが、一つ一つのお点前には意味があるので、ご参考にどうぞ。
①お茶碗にお湯を注ぐ⇒お茶碗を温めつつ清める
②茶筅通し(茶筅をお茶碗の中で動かす)⇒茶筅の損傷が無いか確かめる
③お湯を捨てて、中を拭く⇒乾いていないと粉がダマになってしまう
④お茶の粉を入れる
⑤お湯を注ぐ
⑥茶筅でお茶を点てる
と言った感じです。是非、ご参考にどうぞ。

新型コロナウイルスに関わる所感

コロナの影響で音楽、映画や演劇業界がダメージを受けている、と言う話は毎日のようにニュースになっていますが、茶道・華道業界も大ダメージを受けています。
恐らく、後戻り出来ないくらい壊滅的な状態になるまでテレビに出ることは無いと思うのでちょっとずつ時間を見つけて発進していきたいと思います。
 
 うちは3月の中旬から全てのお稽古止めてますし、外に教えに行くのも他の流派も含めて花展や茶会も軒並み中止になっています。正確な情報を持ち合わせていないですが、中部地方で多分最大の華道イベントである中日いけばな芸術展(通称:中日生芸)も開催されないと思います。
 失礼を承知で言うと、茶華道の先生方は総じてITスキル低めだしそもそも年齢総お高めなのでネット見てても悲鳴は聞こえてこないと思います。しかも、花展やお茶会を通じてのアナログなお付き合いがメインの方々なので、そう言うイベントを封じられてしまうと、他の流派がどんな状況になっているかさえもよくわからなくなってしまう。そう言う業界です。役員会を開くにしても当然Zoom MTGがやれる環境にある人達はとても少ないと思います。

 茶華道それ自体が斜陽産業であることは否定しないし、裾野を広げる活動がこれまで十分だったかというと(ベンチャー企業屋さんをやっている身からすると)そうでは無いと思っているのですが、茶華道の周辺には、抹茶屋さん(妙香園とか)、お花屋さん、花器や茶碗を焼く窯元、鉄器やさん、炭屋さんなどなど、ちょっとした製造業を大きく上回っちゃうくらい裾野が広い産業?なんです。

 そして、その中には既に後継者がいない、高齢化が進んでいる、でも伝統文化を守るためにあまり儲からなくても活動している人達も多くいます。(当然儲かっている人もいるとは思いますが僕の知っている中だとそうです。)

 本業としてやっていない僕がこういうことを言うのも、本業やっている人から見るとあまり気持ちよい物ではないこともあるかも知れませんが、何か出来ることが無いかと思い、発信してみました。
これからも少しずつ何か発信していきたいなと思います。

2020年4月23日木曜日

織部のやきもの

美濃地方では平安時代より焼き物を清算していました。
そして、室町時代の後期に、瀬戸の工人達が釉薬のかかった新しい焼き物の技法を持って美濃にやってきて、釉薬を新たに開発し、引き出し黒、黄瀬戸、志野、銅緑釉などが開発され、特に志野においては日本最初の絵付けされた焼き物が生まれました。そして、桃山時代美濃において開発された技術成果が集大成された物が「織部の焼き物」です。

桃山陶のなかで、斬新なデザイン感覚で我々を魅了させてしまう「織部のやきもの」とは、「大名茶人である古田織部好みのやきもの」と言われている物です。
しかし、徳川幕府の命による古田織部の切腹によって、織部焼きの名前も桃山時代のエネルギーも消え去ってしまいました。

桃山陶を焼いた窯には、山の頂上付近に築かれた単室の大窯と山の斜面に複数の部屋を連ねた連房式登窯とがあり、黄瀬戸は大窯で焼かれた物であり、登り窯で焼かれた物は灰釉と呼び、長石釉についても、大窯の志野は、登り窯では志野織部と呼び、大窯で焼かれた銅緑釉も登り窯では織部釉と呼んでいます。

大窯において銅緑釉のものを最も早く焼いた窯は、多治見市滝呂町の日影窯であり、その後も多くのところで焼かれました。これも登り窯の元屋敷窯において織部焼となり量産され始め、こうして生まれた魅力ある織部の焼き物は大変多彩です。

織部黒
鉄釉を焼成中の窯から引出し急冷して作られる瀬戸黒の技法をゆがんだ茶碗に施した物であり、黒一色です。

黒織部
織部黒と同じ技法ですが、引出し黒釉を左右に塗り分け、余白の部分に鉄絵を描き長石釉を施した物です。

志野織部
鉄絵を描きその上に長石釉を施して焼いた物で文様が鮮明に現れています。

青織部
銅緑の織部釉を部分的に塗り分け、余白の部分に鉄絵を描き長石釉を施してあります。

鳴海織部
鉄分の入った赤土と白土とをつなぎ合わせて、赤土の部分には白土と鉄で文様を描き、白土の部分には織部釉を施してあり、織部としては最も手の込んだ技法です。

赤織部
鉄分の入った赤土のみで作られて、白土と鉄で文様を描き長石釉を施してあります。

総織部
銅緑の織部釉のみを掛け、彫り、印花などの手法が施され、器形と技法共に単純かされています。

次に、美濃に於いて織部を焼いた主な窯の特徴を紹介します。

元屋敷窯(岐阜県土岐市泉町久尻)
この窯は美濃で最初に織部を焼いた窯でアリ、織部技法を全て使い、織部の優品を焼いており、特に茶碗や向付等の茶道具類にデザインが優れた物が多い。

窯ヶ根窯(岐阜県土岐市泉町久尻)
この窯は元屋敷窯の西にあり、やや新しいが、元屋敷窯と同じように色々の技法を使って多種多様な織部を焼いていて、特に切り紙を使用して文様を付けた織部黒茶碗や、総織部のものが多く作られています。

清安寺窯(岐阜県土岐市泉町久尻)
 この窯は窯ヶ根窯の東隣にあり、窯ヶ根より新しく、ここの型打ち成形された青織部の向付は末期のものであり、寛永時代に入っています。

隠居東窯(岐阜県土岐市泉町久尻)
 この窯は元屋敷窯の東にあり、窯ヶ根窯よりやや新しく、薄造り鉄絵の線も細く描かれ、赤織部が多く作られ、唐草文様などが鉄絵された志野織部の小皿と丸椀に優れた物があり、土は細かく良く焼き締まっています。

大富東釜(岐阜県土岐市泉町大富)
この窯は青織部の徳利が有名でアリ、元屋敷窯と比べると器種は少ないようで、土は粗くザラザラした感じがします。

御殿窯(妻木町御殿)
この窯は妻木氏の城下にある武家屋敷の一角にあり、妻木氏の御庭焼の窯と思われています。球種の唐津と同じ物を数多く作られ、織部のものは作行きも豪快であり、格調も高い物です。

太平窯(可児市太平)
この窯は元屋敷と同じ物を焼いていますが、土も悪く、作り、デザイン、文様等の格調が今ひとつの感じがします。

猿爪窯(瑞浪市陶町)
この窯は元屋敷窯より東におよそ15km離れていて、まだ良く分かっていない窯でアリ、赤土に白土・黒土を象嵌した鉢が描かれています。

大川窯(瑞浪市大川)
この窯では灰釉に織部釉を流し掛けした大鉢が多く焼かれています。

織部の焼き物は生まれた頃の物は、厚作りで動きが大きく、力強い作りのものが多く、美的にも優れた物を作っています。この織部独特の素晴らしさも、時と共に単純化、省力化などで次第に薄造りで繊細な感覚の物になってしまい、そして、作られなくなります。「織部のやきもの」は桃山時代の一時の夢のようでした。

2020年3月28日土曜日

八事福祉会館茶室

弥毎福祉会館は八事本町にある、市内在住の60歳以上の人なら誰でも無料で利用できる市の施設です。

茶室は2Fの月当たりにある。
玄関を入ると1坪の土間になっていて、右手に3畳の控えの間があります。床の間は南向きで、一間半の床框(とこがまち)を持つことになっているが、ちょうど茶道畳前3尺の一に辛夷(コブシ)の床柱を立て、向かって東の一間を床の間とし、西の三尺を風炉先前という奇抜な姿を持たせている間取りです。

床の間の東側は一間の明かり窓になっていて、茶席でいうなら連子窓にしつらえるところがアルミサッシになっています。
窓からは興正寺の社が見えて、借景した茶庭のような形になっています。

2020年2月23日日曜日

青翠庵

岐阜・金華山の麓に青翠庵はあります。

中村昌生氏によって作られた茶室は、形が深三畳台目上座床で、点前座を丸畳とし、床を原叟床(げんそうどこ)として、全体には四畳以上の広さの空間が形成されている。
茶室の妻に掲げられた 「青翠庵」の額は、当時の蒔田市長によるものです。

施設には他に二十畳の和室と、立札茶室があり、こちらは誰でも気軽に利用できます。

2020年1月2日木曜日

4月の茶事

卯月・四月は新しい門出を祝う季節です。

茶人にとっては、炉の終わりを迎える時になります。
葛の菓子は風炉用、薯蕷製の菓子は炉用、との約束がありますが、まだ炉になる前であれば、蕨のお菓子を選ぶことも出来ます。
薯蕷の材料になる自然薯は生そのものなので、秋頃収穫されて冬の間にお菓子になります。
 葛は薯より遅れて冬に入った頃に採取され、葛の根を微塵に砕いて寒水に晒し、粉末状態の葛粉ができあがり、しばらく寝かせておいて風味が増したら完成です。なので、次の春以降に食べる、と言う約束になっているのです。

懐石の焼肴においても、炉用は付け焼き・照り焼き、風炉用は塩焼きと言われています。4月の暑さを感じる頃で、付け焼きが暑いと感じるのであれば、木の芽焼きという技法で焼いた料理を出すのもアリかも知れません。

釜付き
花が咲く四月ですから、野遊びに出たい季節です。旅箪笥を棚として使うと言うのも良いかと思います。


見立て物
茶の湯の世界では、「見立て物」と呼ばれる道具があります。