2020年6月27日土曜日

水指

水指は、水器とも呼ばれます。古い箱書などには水差とも書かれています。

水指の歴史を追ってみると、古くは桃山時代千利休の頃には佗道具が主体であり、特に土焼(土釉のかけていない焼物)が茶席にぴったりします。

小間の水指から説明します。外国からの渡り物では、南蛮、ハンネラ、寸胡録等が代表され、中でも南蛮は芋頭、縄スダレなどの形が著名で、全体黒に近い茶褐色で、濃茶席でも大変格式高い水指です。
 一品、国内焼では、瀬戸、伊賀、備前、志野、朝鮮唐津、常滑等かなりの種類があります。瀬戸は、室町期より茶入ぐすりの茶褐色のものや、利休時代の渋紙手の物などがあります。
 伊賀は、豪壮な作行がよろこばれ、火色、コゲ、ビードロ釉が大事なみどころです。近年五島美術館の破れ袋が有名ですが、前述のように窯変、火力による火割れが見所の一つになっています。
 又、風炉の時期や、向切のお席に合うかなり低い水指も作られています。古くは、古田織部指導の頃の筒井伊賀、続いて藤堂高虎時代、遠州伊賀と盛んに作られました。
 備前焼は鎌倉時台当りまで古くさかのぼりますが、茶陶の焼き物は桃山時代が中心です。一般に古備前と呼ばれ、作行は変化に富みねっとりした田土の中には火色と黄味をおびたえのき肌や、ところどころのゴマ等をよろこばれます。
 口造りは、織部風の矢筈口や、全体ところどころの強いヘラ目等非常に大事な所です。形は堂々とした大振りなものや、他割合数のある種壷形や名残の頃の細水指などあり、壷も共蓋が最高ですが、中には赤絵の蓋のついた水指は一段と道具畳を引き立たせます。
 一方、火色が少ないですが、えのき肌やにぶい光沢がひときわ茶味を引き立たせる印部手、白地に襷のある火襷など茶席には好適です。中でも最も代表的な古い水指に徳川美術館蔵、紹鴎所持、大名物銘青海や、畠山美術館の火襷水指など、著名です。
 志野は、茶碗同様優品は数多くありませんが、口造りは織部好みの矢筈口が理想で、全体変化のある豪壮などっしりとした大振りの形で肌はやわらなか光沢のある柚肌、土味はねっとりとしたモグサ土がみやすく、文様は赤味の効いた山、垣根、草花、鳥、丸文等多種描かれている。

 次に朝鮮唐津は、朝鮮とついていますが、桃山時代の頃唐津で作られた焼物で茶碗で言うならば奥高麗といった意味合いです。当時、秀吉、朝鮮との戦の頃、朝鮮の陶工を連れ帰ったと言うのが始まりです。形は低い円筒形の桶形で、黒釉と白釉が互いに二分され、その中に青いナマコ釉があざやかに調和されております。この手も数が少ないようです。

 次に、利休から遠州時代にまると、広間のきらびやかな水指が取り上げられます。中国明末期中心に様々な日本人好みの型物水指が生まれます。
 まず第一に古染付ですが、中国の元時代よりはじまり、明の永楽、宣徳、万暦等さまざまな高度の染付が作られておりますが、日本の茶陶の染付、呉州、祥瑞水指は明代末天啓頃、宣徳鎮の明窯で作られております。
 中でも桜閣山水の芋頭、ブドウ棚、竹ノ絵等有り、全体純白の白地に藍の色がひときわやわらかく、又、虫食い(くすりめくれ)が茶人に好まれております。
 また、呉州は染め付けの一種ですが、藍の色がうすくしかしながら上品な雰囲気があります。呉州菱馬、十二角等代表的な水指です。
 祥瑞は、遠州呉のみで藍の色が古染付よりも一段と深く、又虫喰いなどはありません。古染付、呉州と同様純白の土味ですが、ところどころゴマ土と言って、高台にゴマのひっつきが見られます。これら染付、呉州、祥瑞などの型物水指は必ず共蓋が約束です。
 他、中国の焼物水指は元々、丼、鉢でできたもので、万暦時代の升鉢や呉州赤絵鉢が水指に入った物もあります。いずれも広間の棚物には最適な水指です。
 一方、おとなりの朝鮮李朝の頃には刷毛目、粉引等の朝鮮の焼物が作られ、元々鉢だったものこれらも応用されたものです。
 又、遠く和欄陀の水指は、白、青等の一色の物や、白地に赤、黄、緑、青等非常に鮮やかな色絵(くさへんに良)葉水指が少数ながら伝来しています。

2020年6月21日日曜日

含山軒

含山軒

滋賀県長浜市にある真宗大谷派・長浜別院「大通寺」は、歴史が古く、長浜を中心とした湖北地方の振興と伝統の要となる寺院である。7000坪もある境内には、文化財の宝庫と言われるほど国の重要文化財や件文化財、市文化財の指定を受けた建築物が多い。県内屈指と言われる総ケヤキ造りの山門は重層で、脇門も桃山時代に作られた斧で、旧長浜城の大手門と伝えられている。

重要文化財の大通寺客室は、多少数寄屋風を加味した書院で、蘭亭と含山軒があり、江戸時代初期から中期に建てられた。蘭亭の名は、円山応拳筆による蘭亭曲水宴図の襖絵から取っていると言われ、含山軒の名は、伊吹山が正面に見えることから付けられたという。

含山軒の一の間は、狩野山雪筆の山水画が描かれている。茶席は三畳台目で、床の間は、いわゆる原叟床の形を取り、床柱は角材となっている。極めて変わった形式で、客畳二畳の上が平天井、点前座の上が落天井になっていて、茶道口上の天井は床の間との関連上、一段と高く作られている。

点前座の西は四尺五寸ほどの連子窓となっており、風炉先窓は茶道畳前(北)にある。それに続いてにじり口がもうけられ、そのすぐ右に連子窓が柱いっぱいに開けられている。部屋の一番東(客畳後ろ)に三尺二本引きの襖が入れられていて、一の間から入ることも出来るようになっている。東本願寺の長浜別院としての茶席であり、どことなく気品高い構造のあとがうかがわれる。一の間からは、庭の向こうに、伊吹山がその秀麗な姿を正面に現しているのが望める。この庭は小堀遠州の高弟の作と伝えられている枯山水の庭で、空地には中島を置き、石橋を架け、歩石を配している。つまり、伊吹山を借景に取り入れているわけで、冬に息吹の峰を白く飾る雪も、庭の大切な景観となっている。

2020年6月15日月曜日

炉・透木の使い方

炉の終りに近いころ(3,4月)、透木釜と呼ばれる、釜に羽のついた釜を用いることが、間々あります。
釜の羽と炉壇の間に"透木"と呼ぶ板をはさみ、炉と釜の間の空気の流れをよくするために考えられたものです。

常の通りに釜を炉から上げて、茶道畳の所定の位置へ移し、鐶をはずして、左横へ置き並べます。

①身体を炉に向かわせ、右手で炉壇に乗っている透木を持ちます。
②身体の前で左手に受けます。
③左の透木を持ちます。
④左手の透木の上へ重ねます。
⑤ひと膝左へ向きます。
⑥左手の透木を右手で持ちます。
⑦左手で上から持つようにします。
⑧鐶の左へ並べるように置きます。

釜を懸ける時は、今はずした時の全く逆の手順で行います。ただし、釜を載せた後、釜の乗り具合を眺めて不都合のある場合は、

⑨右ならば、右手で鐶を持ち上げ、一旦左手に持たせて、右手で透木を直し、左手に持たせた鐶を右手に持ってから、鐶を釜へ預けます。(左右が逆ならばすべてこの逆になります。)