2019年10月12日土曜日

堀田家住宅 茶室

愛知県津島市は、名古屋の近郊の中でも戦火を免れているので古い町のたたずまいを今に残していて、屋根の「うだつ」もあちこちで見られ、落ち着いた雰囲気がある。

「堀田家住宅」も「うだつ」が見られる貴重な屋敷で、津島神社と天王川公園の間に位置する。昭和48年に県道拡幅工事のために西へ60m移動し、現在の場所に落ち着いた。
 建築は江戸時代中期、正徳年間という。昭和53年5月に国の重要文化財に指定された。

屋敷の置く、書院に続いて建てられている茶室は2畳畳題目で、屋根は片流造銅板葺になっている。床は東南に向いていて床柱、中柱ともに赤松で、床框(とこがまち)は北山杉の入節である。床柱の左脇に1尺5寸ほどの踏み込み板が有り、そこに給仕口がある。給仕口のすぐ裏が水屋だが、入り口が開きになっているのが珍しい。天井は全体に平天井であるが、押さえに太めの竹が用いられているのも侘びた風情とみられる。

この茶室と、付属する坪の内露地庭は、堀田家6代当主友之と交流のあった久田流6代家元の宗参の設定と伝えられていて、18世紀後半の物である。

貴人口の脇に竹製の刀欠けがあるが、二本の柱で作られているのは非常に珍しい。

堀田家の初代は福島正則に中小姓として仕えたが、慶長5年に正則が広島へ国替えになり、故郷の対馬に戻り、家を構えたという。子孫は後に酒造業で成功を収め、更に金融業や新田開発を手がけ、尾張藩の寺社奉公行所御用達を務めた。茶室脇に刀掛けがあるのも、町人とは言え名字帯刀を許された土地の名手であったからである。

商家の面影は大戸口を入った「みせ」やその置くの「みせざしき」「こみせ」に色濃く残っていて、時代劇を見るようで面白い。現在は津島市教育委員会が管理しているので修理などの手入れが行き届いていて古さを感じさせない。


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