2019年10月12日土曜日

掛け物について

掛物とは、掛軸、お軸、お床とも呼ばれ、古来より色々の書や絵が描かれています。一番古くはあらたかな経切に始まります。経切の代表的な物に聖武天皇のものと言われる経切があります。元、東大寺に伝えられ大和切とも言われる物です。字の大きさにより、大きい物を大聖武、小さい物を小聖武、中間のものを中聖武と呼び、漢字中心に書かれた時代の物です。
  やがて次の平安時代に入るとカナの発達で紀貫之、藤原定家などの能書家が排出します。また、同時に色々の歌集ができ、その中でも例えば貫之のの時代の古今集は最も古く出来た歌集で、後の見本になっています。元々このような歌集は完本で巻物か冊子に納められており、後に所蔵者や地名などで何々切と付けられています。そして、このような平安朝から鎌倉時代の初期頃までの小筆切を上代様と呼びます。

代表的な物として、平安の前期の歌人紀貫之を挙げます。紀貫之は、有名な寸松庵色紙、高野切、桂万葉などを伝えていますが、寸松庵色紙は桃山時代、佐久間将監が大徳寺竜光院内に茶室を設け寸松庵と名付け12枚愛蔵したことから名付けられ、道風の升色紙とともに、三色紙の一つに数えられる名筆です。高野切は歌切の中でも最も上手な切で元高野山に伝わった古今集の巻物です。
 藤原公任は和漢朗詠集の撰者でもありますが、有名な西本願寺本36人集の中の糟色紙、尾形切、岡寺切などの筆者とも伝えられる平安時代の中心的歌人です。ここで、西本願寺本の石山切について述べます。特に近年人気を博していますが、元は36冊有り、 そのうち昭和4年に貫之集下、伊勢集の2冊が分割され、その分を石山切と呼びます。石山切の名称は、西本願寺が古くは大阪の石山という所にあったとの由来です。料紙は極めて華麗で色々な色の唐紙や鳥の子の料紙には金、銀泥の下絵が施され、又切り継、破り継ぎの見事な色分けなど、書も流麗さることながら、料紙がそれ以上に華やかさを引き立たせております。当時、分割は増田鈍翁が中心になり行われ、各地に分散されました。

次に、古筆も華やかなりしころから鎌倉初期になると、懐紙というものが書かれてきます。代表的な懐紙は、西暦1200年の頃、後鳥羽上皇の御代に熊野の御行があり、かなり当時は幾度も御行され詠まれています。いわゆる熊野懐紙ですが、現存は非常に少なく、中でも若州酒井家西本願寺家、近衛家などのものが著名です。
 酒井家の分は大正12年に切断されていますが、後鳥羽上皇はじめ、お供の8人と1軸が巻物仕立でした。熊野懐紙は二つの題をつけ必ず二首詠まれています。酒井家の題は山河水鳥、旅宿理火で後鳥羽上皇のものは署名が無く、他供の人々は位署(位のこと)や自身の名前を書いて詠まれています。西本願寺のものは、遠山落葉、海辺晩望の題で11枚巻物仕立になっています。又、見返しには御行の折の年号と場所(切目王子和歌会正治2年11月3日)が押されています。 因みに、酒井家の御行は瀧尻王子のようで同じ年正治2年12月6日の時の物で3年後と言うことになります。

次に近年の画賛の元になっているのが、この鎌倉時代の歌仙になると思いますが、中でも秋田佐竹侯爵家所蔵の佐竹本36歌仙が最も優美で、国宝的存在になっています。大正6年佐竹家売立の折、巻物仕立で上下2巻36枚まとめて出され、京都の山本唯三氏所有の物となりましたが、2年後の大正8年にまた山本氏から出され、益田鈍翁中心にかくほうめんに分割された訳ですが、その中の斎宮女御画像が一番の高値で、益田家に収まりました。これは信実歌仙とも言われ絵は藤原信実、詞書ハ後京極良経の出合が条件になっています。
 次に、墨跡について考えてみます。色々な学会が各地で行われていますが、最も格調高いのが冒頭に述べた経切ですが、現在の茶会では余程のあらたまった法要茶会以外では使われません。中国の元時代や日本の古い臨済の名僧の墨跡も数少なく貴重な物です。これらの一行物を拝見すると言うことはほとんど不可能で、たいてい法語や院歌状などが中心です。
 我々の親しみやすい一行物は利休時代以降で、茶会ではほとんど大徳寺の和尚さんの墨跡が使われますが、特に江戸寛永の頃は大徳寺の傑僧が輩出されました。開山(1300年頃)は大燈国師ですが(宗峰妙超)、中でも古く有名な一休宗純は少々一行物が伝えられていて、諸悪莫作衆善奉行と、薫風自南米(松平家伝来)とがわずかに伝えられています。
 利休参禅の師古渓宗陳、春屋宗園寛永頃の宝室、江月、澤庵、清巌等、特に著名でまた少し後の弟子筋の玉舟、天室、江雲、江雪などの名僧が出現し、現在に至っています。禅語は一行等、茶会では季節で合わせますが、それぞれ厳しい意味が込められています。例えば明歴々露堂々、明らかに堂々と表すくもりのない心というように、厳しく追及されます。

今回はお軸の話でしたが、利休さんの一期一会の言葉のようにお茶、お道具共、同じ場所でも同じ物がその度ごとにそれぞれ違ったように感じられ、それでこそまた楽しいとも言えるでしょう。

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