2022年7月15日金曜日

7月の茶事

 7月ともなると、近頃では夏が始まっていて、いかに涼やかに茶事を楽しむか、と言うことが大事になってきます。

目から感じる涼としては、掛け軸に瀧や川の絵や、また書のみを掛け、書から涼やかな水辺を思い浮かべることも風情があります。また、水差しなどにガラス(ビードロ)のものを用い、涼やかにすることもできます。

花としては、木蓮や朝顔などがある時期です。

水差しでは、この時期は平水差しが使われます。平水差しには1枚蓋のものと2枚蓋のものがあり、それぞれ扱いが変わります。大きく開かれた水差しの口から目に入る水の様は涼しさを感じさせてくれます。そして、風炉釜を小振りにするのも夏の作法です。
 

お菓子では、葛饅頭など、冷たさを感じさせるものが好まれます。上手に冷やして出すのも良いでしょう。器を冷やすことも大事でしょう。ギヤマンの鉢も良いでしょう。

懐紙の使い方(香合の拝見のとき)

 女性が懐紙を懐中する場合は、5,6枚の懐紙を更に半分に折り、折り目が懐の奥に入るよう、右手で裁ち目の角をもって襟の間へ納めておきます。

 

炉の口語を拝見するときは、
①まず全体の形姿を拝見します。
②右手で蓋を、左手で身の方をもって蓋を開けます。
③両手で蓋をもって、全体を拝見します。

④蓋を伏せて、右横に置き、両手で身の方を持ち上げ、全体を拝見します。

⑤身の裏側には、作者の印判などがあったりしますし、畳付きのところなども拝見したいので、身を一旦下に置き、右手で開始を取り出します。

⑥右手の懐紙を香合の上に当てるようにして、左手で身の方に持ちます。

⑦懐紙の上へ香合を伏せるようにして、裏側を拝見します。

⑧拝見し終えれば、先述のように香合を畳の上に置き、懐紙を懐中へ戻します。

竹露庵

「やきもの」の町、瀬戸の中心部に、こんもりと木々が茂った丘のような小山がある。ここには「陶祖」として伝えられる加藤四郎左エ門を祀る陶彦神社があり、陶祖公園として市民に親しまれている。

この陶祖公園には、陶祖の功績を称えるために建立された市指定の有形文化財の六角陶碑がある。基部から4.1mもの高さがあり、全体が29個の部分からなる日本最大の焼き物である。

ゆっくりと坂を上がると、中腹に茅葺きの竹露庵がある。明治期に瀬戸地方で最初の西洋医となった加藤あきらが、名古屋の某家から茶室をもらい受け、この地に移築したものと言う。竹露庵の名は、明治19年に有栖川宮をお迎えした時に名付けられた。

茶室は4畳で桝床になっており、床柱は松である。茶道畳上は蒲の落天井 、客畳上は檜皮で葺かれた平天井で、押さえに煤竹が使われている。

茶道口に相対して貴人口が設けられ、その左側はにじり口である。山の中腹に建てられた茶室のため、庭は山腹を利用して四尺ほどの鉤の手によって構成されている。

この茶室の特徴は、床の右横に5尺あまりの大きな円相窓があることで、これが室内に開放感をもたらしている。また、床に突き付けて、向切りの炉が切られており、その左手は風炉先窓が設けられている。

竹露庵は緑の樹木に囲まれて、いかにも自然の中の庵といった落ち着いた佇まいだが、車の走る音は聞こえてしまう。

毎年4月の陶祖まつりにはこの茶室を利用した茶会や、広場での野点が行われてにぎやかだが、普段は使われることが無いのが少し惜しいです。

2021年9月8日水曜日

巴鐶の扱い方

釜の鐶の中には、色々と扱いがあります。今回はその中で巴鐶と呼ぶ鐶の扱いを説明します。鈴鐶と言われる物、蜻蛉鐶も扱いは同じです。

①炭斗を持ち出し、釜の蓋を帛紗で閉め羽箒をおろし、鐶を鳥、左手に預け、火箸を出します。
②左手の鐶の右手の向こうを、右手で持ちます。

③手前が向こうになるように、鐶を打ち返し、一旦左手に持ちます。

④常と同様に右、左の手に鐶を持ちます。

⑤釜の鐶付へ、二手で鐶をかけます。

釜敷きをだし、一膝前へ進んで、鐶を餅、釜敷きの上へ蓋をのせます。釜敷きへ釜の乗り具合を眺め、正してから、釜敷きごと釜を右下方へ移し、身体を釜へ正面にします。

⑥常の通り、鐶を外します。

⑦外した鐶を左手に一旦預けます。

⑧右の鐶の手前を持って、打ち返します。

⑨一旦左手に揃えて持たせ、二本の鐶を右手で持ち、釜の右、常と同じ位置に置き付けます。


体を風呂の前へ戻し、香合をだし、羽箒をかけ、下火を直して、炭をつぎ、と進めます。

釜に鐶をかけて、釜を風呂の方へ移し、釜を風炉にかけて、あらためてから鐶をはずすと言う作法は、先述した動作を裏返した順に進めます。

2020年12月28日月曜日

6月の茶事

 初風炉の時季も終って、なんとなく、風炉の点前やら、約束事にも馴れてきますと、早や六月の声を聞く物です。

 

茶杓について

茶杓の要素としては、茶杓の形だけではなく、筒、箱書等も重要な要素になります。 

茶杓の作られた年代は古く、茶の祖、村田珠光、武野紹鷗時代までさかのぼると言われます。r歴史的には中国より象牙の茶杓が伝わったのが起こりとされています。形は先が匙のような形で茶匙(さひ)と呼ばれています。

紹鷗時代のものは長さもかなり長く、節の無いものや、節が一番下にある止節の形が典型です。現在では無節のものは真の形で一般の茶会では使われません。それだけ形、長さが時代が古く格調高いと言うことです。次の利休の時代は、いわゆる茶杓の原型で現代まで受け継がれています。利休の茶杓は節が真ん中のところにある中節形、全体非常にスマートな形で節のあたりは腰が高くいわゆるアリ腰になっています。

茶杓の材質は後の時代になってきますと、竹の他、松、梅、漆、蒔絵等が乱れるようになります。古い茶杓は竹が大半で又竹ということが価値観のある物です。又宗旦の時代までは無地の拭きウルシの物が多く、今でもかなりツヤの良い物が残っております。一方、遠州、宗和の大名茶人の茶杓は侘びの中にさらに綺麗さを兼ね備え、遠州は竹自体、自然なゴマ等景色あるものを選び、宗和は上品かつ洒落た感じのするものが伝えられています。

次に茶杓は筒、箱書が重要です。筒は中味と同じ人で共筒、箱は筒により時代的に近い人、更に外箱も同系統の子孫があると理想的です。利休の頃の古い茶杓には共筒で無いものがありますが、少し後になって筒が作られている物もあります。これを追い筒と言います。また、誰かに送った物を贈筒等ありますが、これは現在のように、茶杓、筒、箱と一緒に作られた物ではなく、中味だけが、あるいは共筒までで、茶杓を紙で包むという古来の風習による物です。筒、箱の関係はあまり時代的に離れていないのが肝要です。いくら茶杓のみが素晴らしく、もっともらしい物でも筒、箱書等整っていませんと大変価値が違ってきます。

さらに銘のことも重要です。銘は歌銘、季節銘、賀銘、詩銘、無銘など数多くありますが、よろこびや季節にぴったりの物が理想的です。しかし古い物ほど良い銘や、銘の無いものが多く、却って無いものはそれだけ時代が古いと言うことで、濃茶に使われることがあります。又、扱いについても大事なことですが、茶杓の一番先のかいさきが割れていないか、筒の汚れ、墨書きのにじみ等が大事な見所です。又、同時に拝見、扱いの折には墨書のところ等絶対触れないことが大事です。

次に宗旦行こうには色々変化が出てきます。茶杓は無地、ウルシ拭きの時代が終わり、竹そのままや黒、赤、ウルシの上に蒔絵をほどこしたり、竹に彫を入れたりした物があります。茶杓の節も中節の他、節下り、二つ節、三つ節等が作られ、筒も時代を隔てた替筒や、二人以上同じ筒に入れる会所筒等、それぞれの茶会の趣で拝見できます。

2020年12月12日土曜日

味噌について

 味噌は、日本人の食生活に欠かすことが出来ません。

その伝来は中国や韓国など諸説ありますが、味噌が醸造され、店舗での販売を開始したのは平安時代と言われています。

そして、一躍脚光を浴びたのは、秀吉の頃からで、茶会に懐石という料理が登場したことに寄ります。以来、味噌の風味は茶人の趣味に叶って、茶の湯懐石の調味料として重宝され続けてきました。

味噌の種類

一口に味噌と言っても、米味噌・麦味噌・豆味噌・調合味噌とがあります。その中で出荷量が最も多いのは米味噌で、味噌全体の8割を占めています。東海三県で作られる豆味噌は全体の5%しかありませんが、豆味噌が懐石料理で果たす役割は大きいです。

 

種類味・色による分類主な産地特徴
米味噌
(米麹使用)
甘味噌
近畿、中国、香川
麹の割合が高く塩分は6%前後と低い。成熟機関も5~20日と短い。白はまろやかな甘み、赤は濃厚な甘み。
東京
甘口味噌
淡色静岡、九州
暖かい地方に多い。麹の割合が比較的多く、塩分は淡色が9%、赤色が13%前後
徳島
辛口味噌
淡色長野、関東
麹の割合は少なく塩分が12~13%程度。寒い地方で作られた保存性の高い味噌。成熟期間も長い。最近は辛みを抑えた中辛も多い
北海道、東北、北陸
麦味噌
(麦麹味噌)
甘口味噌中国、九州
関東の麦味噌は主に大麦を、九州では裸麦を使う。麦味噌は一般に香りが良いと言われている。甘口の熟成期間は1~3ヶ月、辛口は3~12ヶ月で、塩分は12%前後。
辛口味噌関東、中国、九州
豆味噌
東海大豆に直接麹をつける独特の味噌。暖かい地方には、珍しく辛口で、塩分は11%前後。赤だしに使われる味噌は米味噌と合わせている物が多い。熟成期間は1~3年。  

八丁味噌

 豆味噌の中で代表格と言えば八丁味噌です。八丁味噌は夏季の高温、高湿にも酸敗しない長期保存にも最も適した味噌です。

名将のもとには、必ずおいしい味噌があったと言われています。上杉謙信には越後味噌、武田信玄には信州味噌、伊達政宗には仙台味噌といった具合です。 

原料は丸大豆

製造工程の最初では、まず丸大豆のゴミと異物が取り除かれ、洗浄後は水に浸して水分を含ませます。水を切った大豆は大きな蒸し釜で蒸されるが、この作業が最も技術と経験が要求されます。白味噌は大豆処理の際に煮られるのに対して、赤味噌は蒸されます。高圧で蒸すと大豆は赤褐色になり、栄養分が逃げません。

豆麹つくり

蒸した大豆は玉握り機で手の拳大に握られ、味噌玉となります。そして、種麹散布機で味噌玉の表面に種麹をつけ、自動制麹装置室で豆麹をつくります。

味噌だけでなく、醤油・酒などはすべて麹の助けを借りて作られます。麹とはカビの一種で、生育の際に消化酵素を体外に分泌する性質を持ちます。米の澱粉を糖に分解したり、大豆のタンパク質や脂肪をアミノ酸や脂肪酸に分解したりします。

仕込む時、カビ自体は死滅しますが、酵素は働き続けるのです。この麹を大豆につけて生育させたものが豆麹、米につければ米麹となります。豆味噌は豆麹のみで仕込まれ、米味噌や麦味噌は、それぞれ米麹・麦麹と大豆とを合わせて仕込むことになります。

熟成三年

麹のついたみそ玉は、割砕され、水と塩を配合して撹拌機でかき混ぜられます。

最後に、大きな桶に味噌を仕込みます。桶の上には意思を積み上げて三年もの間じっくり寝かせます。

成分起源効用
タンパク質大豆コレステロールの低下、血管の弾力性保持
ビタミンB1麹菌体内の酸化還元を促進
ビタミンB12最近造血作用、神経疲労防止
ビタミンE大豆酸化防止、老化防止
酵素麹、酵母、乳酸菌消化を助ける
サポニン大豆過酸化脂質の生成防止、血中コレステロール等の低下、
動脈硬化の防止、肝障害の防止
トリブシンイン大豆抗がん作用、糖尿病の防止
ダイゼイン大豆酸化防止、肩こりの解消、抗変異原性、乳がん予防
ダイゼインコリン大豆脂肪肝の防止、老化防止
レシチン大豆コレステロールの低下、動脈硬化の予防
プロスタダランチィンE大豆のリノール酸高血圧の防止
色素大豆酸化防止、老化防止
食物繊維大豆コレステロールの低下、大腸がんの予防

赤出し 

 赤出し、と言う意味は、味噌を布巾で包み、だし汁の入った鍋のなかで溶かしだして、吸い物に仕立てた際に、八丁みそなどの豆味噌と甘口の白味噌を合わせてもちいたので、赤茶の色が付近から出る、と言うことに由来しています。

赤出し八丁味噌は、八丁味噌に特別仕込の米味噌を加えて調味した調合味噌のことで、代替半々に調合されています。

2020年9月25日金曜日

花入について

花入は茶花を入れるものです。

どこの茶会でも、床の間を始めに拝見します。あらたまった濃茶席では掛軸、墨跡が掛けられています。

そうなると、花入れは青磁、古銅が基本的です。 青磁は中国の南京時代(13世紀頃)のものが一番青釉が綺麗で最も貴重なものです。この頃の青磁は砧青磁と呼ばれます。形は真中より下の部分に従いふくらみのある砧形、中蕪、下蕪形等や、胴に7,8本スジのある笋形が中心ですが、あまり数はありません。

古銅は本来胡銅と書かれるのが正しく、中国の地名より取られています。胡というところで多く作られていました。形は中蕪、下蕪のものや、口造り柑子口などいろいろあります。また、耳は獅子、龍、管耳等があります。また肌を鑑賞することも大変重要で、見た目が透けた茶褐色のやわらかい肌合が見所の一つです。

同じ銅の花入でも夏の時期に使われる砂張釣舟形花入があります。砂張は朝鮮産と南蛮産の2種類に分けられますが、元々外国果物等の食器で使われた物を日本で茶道具に取り上げた物と思われます。砂張は正確には砂張銅といい、銅に銀や錫が混じった合金で、名品と言われる物は白や黄の光りかたが入り交じり非常にくっきり表れています。松本舟、淡路屋舟、ひらた舟など著名な釣舟花入が代表されます。

また、中国の明時代中期頃には盛盞瓶(せいさんぴん)と言う酒や水を入れた器が作られており、これもみたてで日本では花生に使われます。赤絵金襴手や、青磁に見られ、歌切や古画等の掛軸の前に置くと洒落た感じがします。また、これは共蓋をより珍重します。明の末期の頃には日本人好の染付、高砂が作られますが、紋様はおめでたい謡曲銘で、形は青磁や古銅の形よりとられています。

一方、日本の花入れは焼物に代表されますが、その中でまず近来特に人気の高い伊賀の花入れは天正頃城主、筒井定次が古田織部指導に従い焼かせた物です。筒井伊賀と呼ばれ、続いて藤堂伊賀が中心で、からたち、芙蓉、小倉、寿老人等代表される、火色、コゲ、ビードロや全体非常に力強い変化のある作行きが見所です。また、耳付のところも見逃せません。

一方、備前の花入も侘びには最高です。土はねっとりとした田土で全体発色の良い火色がかかり、黄味を帯びた榎肌やゴマ、また織部風の豪快な歪みや変化に富んでいます。他火色の少ない印部手や白他に火色のタスキがかかった火襷の手があります。

暫遊荘

 暫遊荘

 愛知県犬山市の木曽川河畔にある茶室である。

元は名古屋市堅三町にあった高松邸という建物である。それが、昭和60年に取り壊されると言うことになってしまった。その際にヤマザキマザックの当時の社長である山崎照幸氏によって移築再生されることになった。中村昌生氏の指導監修の元、建築は安井杢工務店、庭は川崎幸次郎という名工、名人の手によって平成2年4月に移築され、太郎庵の茶室に変わり復元された。

暫遊の名前は楽只斎松尾宗二が覚々斎から送られた号である。

敷地面積約8000坪のうち、延べ床面積194坪の建物は手斧造りの栗材の堀で囲まれ、門を入ると、玄関車寄から偕楽の間へと続く。主屋が二重畳、次の間が10畳で正面には1間半の床、床柱は栂(つが) の四方柾である。残りの一間を床脇とし、池袋月で、一重棚がある。鍋島の間は立札席となっており、床脇の吹抜に長さの不揃いの竹を並べて2畳の貫を通した手法に特徴がある。その他に、高取の間、萩の間、丹波の間、信楽の間があり、また2階には朝日の間、備前の間、楽山の間、瀬戸の間がある。

本玄関脇に、中庭に通じる路地門がある。腰掛待合があり、飛び石伝いに中滑りへと進み、蹲踞(そんきょ)、茶室「暫遊」へと導かれる。

1畳台目目2畳の客座と1畳に中柱を立てた台目構えの手前座を付した珍しい席となっている。

 なお、偕楽の間から眺める中潜りと茶室の見える手入れの行き届いた中庭は、杉苔と四季折々の樹木の変化が堪能できる。

また、建物の西側には内玄関があり、苑路が施されて、木曽川の清流を後ろにして楓、梅、紅葉などが川面に彩りを添えている。

茶花について

 茶花は、美しい自然の花をそのままに、季節を表現して入れるのが良いとされています。それ以外にもいくつか要件があります。

・開きかけの蕾がよい。

・梅、卯の花、木瓜、雪柳、山朱萸(サンシュユ)、山吹、開花の花には木槿、芙蓉(ふよう)、桔梗などが良い

・花の向きとしては前向きが良い

・あまり器に丈高く入れない方が良い

・葉は葉裏を見せない方が良い。

・葉数は奇数を選ぶ

・汚れた葉は濡れ布巾で拭いてから刺す

・茶席の雰囲気を壊さない花を活ける

などです。

2020年8月19日水曜日

懐紙の扱い方

①菓子鉢を膝の前へ取り込み、亭主へ「お菓子をいただく」挨拶をしてから、右手で懐の懐紙を出します。

②身体の前で、左手をあしらい、本を開くように展ろげ、(1つの折り目が点前になるようにして)、菓子器の脇へ置きます。

正客は上座、次客以下は下座へ置くのが約束です。

③右手で箸を取り、身体の前で持ち直します。

④菓子を取って、懐紙の上へ出します。

⑤箸の先が汚れた場合は、懐紙の角で先を拭うようにします。

⑥身体の前で、再び箸を持ち直します。

⑦器へ戻してから器を隣りの客へ移します。

⑧懐紙ごと菓子を持ち上げ、食べやすい大きさに割って、口に入れます。

⑨食べ終わったら、懐紙を半分に折り畳み、右手で裁ち目の角を持ちます。

襟の間へ納め懐中します。

懐紙が汚れた場合は、その一枚を取り除いて裾に入れ放棄します。

2020年7月20日月曜日

餘楽庵

餘楽庵は、江戸時代に、美濃路街道の中に作られた萩原宿の一角にある京菓子の老舗です。

「和菓子を作るにも、お茶の修業を積んでいくうちに、自然に情緒性と精神性が養われて"茶心""絵心"が理解できるようになるだろう」と言う教えによりお茶の道に入ったという店主は、お茶の精神を日ごろから感じ、また追及しているとのことです。

 昭和18年頃に作られた茶室「餘楽庵」は、もともとは店舗の奥にあったもので、平成元年に店主原鉦三氏が街道をはさんだ店舗の向かいに、茶室と庭を作る際に移築したものです。

数寄屋門の戸を開け、まず目に映るのは見事に敷き詰められた青々と美しい杉苔。敷石を進んでいくと、右手に立て札席がある。店主の好みの設計に斬新さが感じられます。

 畳老化伝いに、八畳の寄付は表千家惺斎宗匠の好みの部屋を写したとのこと。隣接する八畳の間は、松風楼の写しの席となっている。
 廊下を曲がりさらにいくと、水や、小間「餘楽庵」向切の構えとなっている。窓のしつらいが互い違いになり、窓の外側に「刀掛け」が施されているの等の特徴がある。
 なお、庭には元禄15年の釣灯篭や丸石をくりぬいて作られた奈良時代のものと思われる灯篭があり、歴史を感じさせる。

 また、菓子、どうだん、わくら、もみじ、松、楓などが植えられてよく手入れされた庭の眺めが素晴らしいです。

2020年7月8日水曜日

ススキについて

9月に入り立秋が過ぎると暑中見舞いが残暑見舞いに変わり、暦の上では秋になります。そんな中で秋らしさを見せてくれるのがススキです。

 ススキは東アジアから日本全土に広がるイネ科の植物です。夏のおわりごろから晩秋の季節まで、どこでも見られ日本の秋を演出する植物です。
 かつてセイタカアワダチソウが猛威を振るっていた頃、このアメリカの花は日本のススキの縄張りを荒らし、日本を占領していましたが、今ではススキも戻ってきました。

 ススキは、古く万葉の時代からうたにも出てきました。万葉集には「ススキ」の名の出る物が17首、「オバナ」19首、「カヤ」10首と多いです。
「人皆は 萩を秋という よくわれは 尾花か末(うれ)を 秋とはいはむ」万葉額しゃん愛知淑徳大学教授だった稲垣富夫先生は、「世の人は誰しも萩に秋を感ずるという。なんと言おうと私は、尾花の穂末をこそ秋を思わせる物だと言おう」と仮設されていました。やはり、日本の秋を代表する植物は昔から萩では無くススキだったのではないでしょうか。

【ススキの呼び名】
ススキを尾花と呼ぶのは初秋の頃から出る花穂が獣の尾の形に似ているために名付けられたのです。また、一般的にこの植物をカヤと呼ぶのは、夏の頃充実した茎と葉を刈り取って乾燥させ、屋根を葺くのに使い、この家屋をカヤブキと呼んだからです。
 以前は茅葺きの家は田舎に行けばごく普通に見られたのですが、最近ではその景観を見ることはほとんど出来なくなってしまいました。
 世界文化遺産に登録されている岐阜県白川郷の合掌の家は、すべて茅葺きです。

【ススキの園芸品種】
 ススキ野とは荒れた原野に最初に育ってくるのが、ススキであったためこう名付けられたのだそうです。荒れ地・原野で育っているようなものを庭や鉢植えで鑑賞するというのはいかがなものでしょう。
 ところが最近はこのススキの仲間にも色々緩衝性の高い物が登場してきました。

シマススキ
 高さ2m近くなり、葉にリボンのような乳白色の縦縞が入るモノで、この縞が葉の中央部と外側に入る種類があり、とても涼しそうな感じで庭に良く似合います。

タカノハススキ
 葉に黄色い横縞が段々模様に入る、とても鑑賞価値の高い種類で鉢植えや庭植えに適しています。葉の模様からトラフススキとかゼブラグラスの英名もあります。

イトススキ
 葉の細い系統で高さも1mくらいです。とても繊細な感じがする中形タイプのススキです。

ヤクシマススキ
 葉が細く高さもあまり高くならない物で、山野草愛好家に好まれ、専ら鉢植えでたのしみます。

シロガネヨシ
 ススキに近い仲間で南米のブラジルからアルゼンチンの荒れ地・パンパに自生する大型種でパンパスグラスの名前でよく知られます。雄大な花穂を出し公園やゴルフ場などの景観にはとてもよく似合います。

 ススキの仲間はこれまで庭に植えたり、鉢に植えることはほとんどなかったのですが、最近の英国風の庭園やコンテナガーデンの流行で、自然風の植栽にはススキの仲間がとてもよく似合うと今人気上昇中です。
 自然風・繊細さ・風にゆらぐ風情、色々が鑑賞されています。

2020年6月27日土曜日

水指

水指は、水器とも呼ばれます。古い箱書などには水差とも書かれています。

水指の歴史を追ってみると、古くは桃山時代千利休の頃には佗道具が主体であり、特に土焼(土釉のかけていない焼物)が茶席にぴったりします。

小間の水指から説明します。外国からの渡り物では、南蛮、ハンネラ、寸胡録等が代表され、中でも南蛮は芋頭、縄スダレなどの形が著名で、全体黒に近い茶褐色で、濃茶席でも大変格式高い水指です。
 一品、国内焼では、瀬戸、伊賀、備前、志野、朝鮮唐津、常滑等かなりの種類があります。瀬戸は、室町期より茶入ぐすりの茶褐色のものや、利休時代の渋紙手の物などがあります。
 伊賀は、豪壮な作行がよろこばれ、火色、コゲ、ビードロ釉が大事なみどころです。近年五島美術館の破れ袋が有名ですが、前述のように窯変、火力による火割れが見所の一つになっています。
 又、風炉の時期や、向切のお席に合うかなり低い水指も作られています。古くは、古田織部指導の頃の筒井伊賀、続いて藤堂高虎時代、遠州伊賀と盛んに作られました。
 備前焼は鎌倉時台当りまで古くさかのぼりますが、茶陶の焼き物は桃山時代が中心です。一般に古備前と呼ばれ、作行は変化に富みねっとりした田土の中には火色と黄味をおびたえのき肌や、ところどころのゴマ等をよろこばれます。
 口造りは、織部風の矢筈口や、全体ところどころの強いヘラ目等非常に大事な所です。形は堂々とした大振りなものや、他割合数のある種壷形や名残の頃の細水指などあり、壷も共蓋が最高ですが、中には赤絵の蓋のついた水指は一段と道具畳を引き立たせます。
 一方、火色が少ないですが、えのき肌やにぶい光沢がひときわ茶味を引き立たせる印部手、白地に襷のある火襷など茶席には好適です。中でも最も代表的な古い水指に徳川美術館蔵、紹鴎所持、大名物銘青海や、畠山美術館の火襷水指など、著名です。
 志野は、茶碗同様優品は数多くありませんが、口造りは織部好みの矢筈口が理想で、全体変化のある豪壮などっしりとした大振りの形で肌はやわらなか光沢のある柚肌、土味はねっとりとしたモグサ土がみやすく、文様は赤味の効いた山、垣根、草花、鳥、丸文等多種描かれている。

 次に朝鮮唐津は、朝鮮とついていますが、桃山時代の頃唐津で作られた焼物で茶碗で言うならば奥高麗といった意味合いです。当時、秀吉、朝鮮との戦の頃、朝鮮の陶工を連れ帰ったと言うのが始まりです。形は低い円筒形の桶形で、黒釉と白釉が互いに二分され、その中に青いナマコ釉があざやかに調和されております。この手も数が少ないようです。

 次に、利休から遠州時代にまると、広間のきらびやかな水指が取り上げられます。中国明末期中心に様々な日本人好みの型物水指が生まれます。
 まず第一に古染付ですが、中国の元時代よりはじまり、明の永楽、宣徳、万暦等さまざまな高度の染付が作られておりますが、日本の茶陶の染付、呉州、祥瑞水指は明代末天啓頃、宣徳鎮の明窯で作られております。
 中でも桜閣山水の芋頭、ブドウ棚、竹ノ絵等有り、全体純白の白地に藍の色がひときわやわらかく、又、虫食い(くすりめくれ)が茶人に好まれております。
 また、呉州は染め付けの一種ですが、藍の色がうすくしかしながら上品な雰囲気があります。呉州菱馬、十二角等代表的な水指です。
 祥瑞は、遠州呉のみで藍の色が古染付よりも一段と深く、又虫喰いなどはありません。古染付、呉州と同様純白の土味ですが、ところどころゴマ土と言って、高台にゴマのひっつきが見られます。これら染付、呉州、祥瑞などの型物水指は必ず共蓋が約束です。
 他、中国の焼物水指は元々、丼、鉢でできたもので、万暦時代の升鉢や呉州赤絵鉢が水指に入った物もあります。いずれも広間の棚物には最適な水指です。
 一方、おとなりの朝鮮李朝の頃には刷毛目、粉引等の朝鮮の焼物が作られ、元々鉢だったものこれらも応用されたものです。
 又、遠く和欄陀の水指は、白、青等の一色の物や、白地に赤、黄、緑、青等非常に鮮やかな色絵(くさへんに良)葉水指が少数ながら伝来しています。

2020年6月21日日曜日

含山軒

含山軒

滋賀県長浜市にある真宗大谷派・長浜別院「大通寺」は、歴史が古く、長浜を中心とした湖北地方の振興と伝統の要となる寺院である。7000坪もある境内には、文化財の宝庫と言われるほど国の重要文化財や件文化財、市文化財の指定を受けた建築物が多い。県内屈指と言われる総ケヤキ造りの山門は重層で、脇門も桃山時代に作られた斧で、旧長浜城の大手門と伝えられている。

重要文化財の大通寺客室は、多少数寄屋風を加味した書院で、蘭亭と含山軒があり、江戸時代初期から中期に建てられた。蘭亭の名は、円山応拳筆による蘭亭曲水宴図の襖絵から取っていると言われ、含山軒の名は、伊吹山が正面に見えることから付けられたという。

含山軒の一の間は、狩野山雪筆の山水画が描かれている。茶席は三畳台目で、床の間は、いわゆる原叟床の形を取り、床柱は角材となっている。極めて変わった形式で、客畳二畳の上が平天井、点前座の上が落天井になっていて、茶道口上の天井は床の間との関連上、一段と高く作られている。

点前座の西は四尺五寸ほどの連子窓となっており、風炉先窓は茶道畳前(北)にある。それに続いてにじり口がもうけられ、そのすぐ右に連子窓が柱いっぱいに開けられている。部屋の一番東(客畳後ろ)に三尺二本引きの襖が入れられていて、一の間から入ることも出来るようになっている。東本願寺の長浜別院としての茶席であり、どことなく気品高い構造のあとがうかがわれる。一の間からは、庭の向こうに、伊吹山がその秀麗な姿を正面に現しているのが望める。この庭は小堀遠州の高弟の作と伝えられている枯山水の庭で、空地には中島を置き、石橋を架け、歩石を配している。つまり、伊吹山を借景に取り入れているわけで、冬に息吹の峰を白く飾る雪も、庭の大切な景観となっている。

2020年6月15日月曜日

炉・透木の使い方

炉の終りに近いころ(3,4月)、透木釜と呼ばれる、釜に羽のついた釜を用いることが、間々あります。
釜の羽と炉壇の間に"透木"と呼ぶ板をはさみ、炉と釜の間の空気の流れをよくするために考えられたものです。

常の通りに釜を炉から上げて、茶道畳の所定の位置へ移し、鐶をはずして、左横へ置き並べます。

①身体を炉に向かわせ、右手で炉壇に乗っている透木を持ちます。
②身体の前で左手に受けます。
③左の透木を持ちます。
④左手の透木の上へ重ねます。
⑤ひと膝左へ向きます。
⑥左手の透木を右手で持ちます。
⑦左手で上から持つようにします。
⑧鐶の左へ並べるように置きます。

釜を懸ける時は、今はずした時の全く逆の手順で行います。ただし、釜を載せた後、釜の乗り具合を眺めて不都合のある場合は、

⑨右ならば、右手で鐶を持ち上げ、一旦左手に持たせて、右手で透木を直し、左手に持たせた鐶を右手に持ってから、鐶を釜へ預けます。(左右が逆ならばすべてこの逆になります。)

2020年5月23日土曜日

3月の茶事

透木釜
大蓋の釜から普通の釜にも土肥、透木釜に変えていく季節です。
炭点前をするに当たっては透木の扱いが必要になります。

透木釜は「羽釜」と言う呼び名で呼ばれることもあります。この羽のことを「煙返し」とも言います。炉の廻りをいっぱいに塞ぐので、炉内の火気が見えないので暖かくなってきたこの時期にふさわしいとされています。

湖舟庵

滋賀県長浜市に黒壁スクエアと言う施設があります。
湖舟庵は、23館からなる黒壁スクエアの中の10号館で、黒壁ガラス鑑賞館の中庭にあります。
鑑賞館の表門は、かつて長浜城内の秀吉公茶亭門であったと伝えられています。
中庭にある湖舟庵は現在は使われていない。

2020年5月17日日曜日

香合の扱い方

炭道具として使われる香合は、国内外含めかなりの種類と数があります。
古来中国の堆朱(ついしゅ)、堆黒(ついこく)に始まり、室町・東山時代に日本に到来しています。日本の香合も古くは鎌倉時代より作られ、錫椽(すずたるき)、鎌倉彫、根来等が代表的な物です。

堆朱は宗・元の時代に始まりますが、現在残っている物はほとんど明時代のものです。中でも張成、楊茂、周明は堆朱三作と呼ばれ、畳附(底面)に針彫で在銘をみるものがありますが、この在銘も彫り方があまり深く彫られておらず、線が細く浮かび出ている物の方が確かなようです。何百回も塗りを重ね、その上に文様を彫出した物で、持った感じ非常に重厚感があります。
堆朱の香合は赤漆が中心ですが、数少ない物の緑や黄色が入っている香合もあります。例えば牡丹文や椿文のもので、花が朱、葉が緑で紅花緑葉と言って、喜ばれます。更にその上にところどころ黄漆が見られる物がありますが、更に珍品上手な香合です。

堆黒は堆朱の一種ですが、よく注意深く拝見すると、底に朱が見えたりする物があります。中でも地肌がはっきりと朱が見え彫文様のところが黒い物を堆黒地紅と呼びよりよろこばれます。又、朱が見えず、非常に光沢のよい黒色を発する物を特に堆鳥と呼びます。

香合は、茶人の間では香箱とも呼ばれ、炭道具の中で特に重要視されています。

さて、日本でも同じくらい古い香合に錫椽香合があります。最も古い物は数は少ないですが鎌倉時代に始まっています。元々化粧道具として作られた物で、蓋と身に蒔絵がほどこされ、合口が錫になっています。形は、正方形、長角、丸形と三種あり、蒔絵は梨子地に平蒔絵やだんだんと時代が進むにつれ、研出(とぎだし)、低い高蒔絵等なき絵技法も大事なみどころがあります。他に、堆朱の技術を取り入れ、鎌倉時代の禅寺で造られたと言われる鎌倉彫や紀州根来寺において造られた根来塗が古くからつたわっています。このように、中国の堆朱堆黒日本の漆器、蒔絵香合は、桃山時代を境に流行する焼物香合より古い時代に使われています。特に東山時代の頃より沈香木の貴重さ、又それを入れる沈箱更に小分けするための器として好まれた物と思われます。

 時代も桃山、江戸、利休織部、遠州等大茶人の茶道が本格化してくると、焼物香合を外国(特に中国)へ注文したり日本でも好みのものが造られます。青磁、染付、呉州、祥瑞、中国南方の交趾やはるか紅毛(オランダ)まで発注されます。また、日本でも黄瀬戸、志野、織部、仁清、乾山等が造られます。このように、注文品、好み品含めこれらの香合を形物香合と呼びます。形物香合一覧表が江戸幕末頃作られ相撲番付のようになっていますが、右欄(東方)は第一段大関より交趾が並び、二段、三段に青磁、交趾の順に占められています。又左欄(西方)は染付、呉州中心になり他国焼が並んでいます。よく茶会でこれは形物でアガりもよく、結構ですという会話がありますが、それほど昔から茶人間で大切にしてきた物です。

 交趾香合は、大亀、台牛、桃の順に出てきますが、見所は黄、緑(青)、紫、他白檀(金箔を張り付ける)釉薬があり、それぞれ一色のもの二色のもの三色のものに色分けられ鮮やかさは玉を見るが如くの発色が大切です。又、蓋裏、身裏では土や肌を見ることができますが、土はきめ細やかなやわらかい土、肌は卵の乳白のごとくすべすべした肌合いが肝要です。交趾はよく黄を第一とすると言いますが、それほど鮮明な色が大事と言う事です。口切りの小間の茶室の中では特に色鮮やかで愛着を感じます。

 青磁は花入、茶碗、鉢等は時代古く南宋、元まで遡りますが、香合は全て明末に作られています。交趾同様格調高く、西方では一段目に桔梗、桃、一葉の三点のみがのっています。青磁香合は時代的に七官手ですが、砧(きぬた)、天龍寺に近いぐらいの色が理想的です。

 土は、赤土がみやすくだいじなところです。染付は代表格辻堂や、哥仝鳥(叭々鳥)荘子他多数ありますが、茶人好みの古染付でやわらかな藍の発色と虫喰い(くすりめくれ)や、土は白地で全体充分な堅さが良いです。

 祥瑞は、江戸初期遠州注文と言われます。染付よりも藍が深く絵文様も繊細になります。蜜柑が西方二段目にみえます。祥瑞香合の中では第一ですが、五郎大夫、呉祥瑞造の在銘を見逃せません。祥瑞は虫喰いは無く、土はゴマ土が約束です。又、遠州はオランダまで注文したと言われ、現存の白雁香合は数点のみです。広間の取合わせには洒落たうってつけのものです。又、反り物の刑物香合は中国でのおめでたい形文字日本人好みの形等多く見られます。
 次に、国焼も桃山時代よりつくられています。黄瀬戸根太(きぜとねぶと)、伊賀伽藍(がらん)、志野宝珠、織部菊カブト、青分銅が番付に入っています。黄瀬戸はやわらかなあぶらあげ肌に全体薄黄がかかり、その中にタンパン、コゲ等上品さが大事な所です。根太は先がとがり丁度三角形のような形で、又、先が丸みを帯びた宝珠の形もあります。志野は辻堂、一文字、茄子等ありますがどれも光沢の良い柚肌に火色や鉄絵がみどころです。織部は、ご承知のように古田織部好みで、他ハジキ形が著名ですが、白地の中に青うわ具売りの光沢のよさを見逃せません。また、茶碗と色がわりが反対で、香合は大半青織部が多いようですが、黒織部香合は非常に少ないようです。

 又、遠州の後、京焼の名工、仁清の白雁、乾山の檜梅等の形合香合も加えられています。焼物香合は形物の番付の格は大事なことですが、キスケのなさ、アガリのよさ等その条件を満たした物がより大事です。

2020年5月16日土曜日

欅庵

欅庵は、豊明市文化会館の別棟として建てられています。

茶室は4畳半の広さで、利休床が付けられています。床柱は赤松で、下に細い竹のこがとってあり、床框(とこがまち)には、麿丸太が使われている。床は南に面し、床の正面南口はにじり口、床のすぐ西横に給仕口がある。床に向かって東側の中央は二本引の貴人口となり、西側角は茶道口となっている。

天井は薄く削った竹で格子に組んだ平天井で、西側一畳半分は、ゆるやかな駆け込み天井となっていて、ほぼ中央に突き上げ窓がもうけられている。にじり口上は二本引の連子窓で、また西側にも、一段下がって二本引の窓となって、広く明かりが採れる仕組みになっている。